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ある日の午後、テレビで「ワイドスクランブル」が放映されていたので、何気なしに見ていると、「日本の伝統に魅せられた外国人」という特集が組まれていた。
よくある「日本ってスゴイ」系の、薄っぺらいコーナーかなぁと思っていたら、意外とちゃんとした内容だった。出てきたのは三人。一人はアフリカ生まれの方で、日本の新内に惹かれて来日、これまでのキャリアをすべて捨てて新内の師匠に弟子入りされたという。他にも、アメリカ出身の甲冑師、オーストラリア出身で庭師の修行をされている方など、しっかり頑張っておられるなぁと感心した。

でも、見ていて感じたのは、私たちは日頃伝統だとか文化だとか「うつくしーくに」だとか声高に言っているが、本当にちゃんと護れているのか?ということだった。むしろ、外国生まれであっても日本文化に感化され、来日・帰化までされている人々の方がよほど伝統護持の覚悟があるのではないか。
生まれ育ちが異なる中で日本に魅せられたというのは、皇化に浴するところ大であるのは言うまでもないが、私たち「日本人」がそれに安住し、「外国からでも護ってくれる人がいるから、まだ大丈夫だ!」と要らぬ甘えがないか。ではもし、彼らに見向きもされなかったなら、新内も甲冑も作庭技術も、今すぐではないにせよ、いずれ死滅しても仕方がなく、それはそれで一つの「文化」のあり方として割り切ってしまうのだろうか。現代日本人は、おそらくそうした考え方なのだろうけど、多分その選択は誤りだろう。

むろん、文化的なるものは、細々と続くものかもしれない。けれども、それを誰かが自発的にでもそれを継承し、引き受ける覚悟がない限り、その貴重な民族的財産は軽々と遺棄される運命にある。歴史に時間的な断絶はない。しかし、日本の場合、明治維新前後、そして大東亜戦前と戦後で、大きな文化的変容があった。戦後は特に顕著だろう。
その細々とした灯火さえも、戦後空間を生きる私たちはヘーキで消そうとする。彼ら外国人の姿を見て、逆照射された私たちの姿に、暗澹たる気持ちになった。
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