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2015.06.12 負の遺産
最近、個人的にだが、脱原発運動に参加している。東京発の「右から考える脱原発運動」にも賛意を示しつつ、しかし頻繁に関東にも行けない。そこで地元の活動にて、たまにではあるが演説などで参加している。
もちろん、地元のそれはいわゆる左巻だ(笑)。主宰の方々も前面には出していないが、色合いはどうしてもそうなるのだろう。そんな中で、私一人「皇土死守」「独立自尊」を訴え、電力会社の金権体質を批判している。こういう主張はなかなか彼らの中からは生まれないためか、案外評判が良い(笑)。

さて、こんなどうでもいい自慢はさておき。
最近この問題を考える中で、少しモヤモヤしていることがある。
東日本大震災で甚大な被害を受けた福島県は、原発によって栄えてきた。これは米軍基地にもいえることだが、政府からの莫大な補助金によって政治が営まれてきた。しかし、両者ともそうした体質は終焉を告げつつある。
福島県浪江町には、町の大通りに「原子力 明るい未来のエネルギー」という標語が掲げられている。今般の事故により、原発村は壊滅したが、この標語を作成した人びとからは、「悲惨な歴史の教訓として、遺してほしい」という声が上がっているという。
なるほどな…と思っていると、あることが頭をもたげてきた。たとえば、広島の原爆ドームや長崎の浦上天主堂に代表される、戦争の遺産なども、「悲惨な歴史の教訓」としてあえて遺されてきた。この記憶を、原爆を落とした主体、つまり米国にこそ考えて頂かなければならない。福島の標語についても、その惨禍をもたらしたのは東電・政府であった。彼らに大いに反省を促すためにも、遺すべきなのかもしれない。
では、沖縄をはじめ全国に展開している米軍基地群はどうか。もし仮に、これらが国外への撤退が実現したとして、国内から「戦後日本の象徴としてこれらを遺すべきだ」という意見が出るかもしれない。日本は、負の遺産だらけなのか。
哀しい歴史を持たない国はないとはいえ、これまで日本が「善」としてきた価値観、つまり原発や基地なども、一転して「悪」の遺物となる(現に、原発はそうなった)。では、何故そのようになったのかを私たちは冷静に立ち止まって考えてきただろうか。

時代によって変転する善悪の価値観を点検せず、全てを「善」であるとしてきたツケが回ってきたということだろう。憲法もそうなりつつある。私は護憲ではないが、時代と合わなくなってきたものを「悪」と規定するにせよ、そこには十分な点検が要求されよう。「何となく、悪そう(良さそう)」という空気感だけで流し、流される世の中は、やはり気持ち悪い。
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