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2015.03.09 二つの孤独
川崎市で痛ましい殺人事件が起こり、数々の新しい事実が掘り起こされている。
いずれも信じ難い内容だが、現実にこういうことが、今日も我が国のどこかで起きつつあり、かつそのことに対し慣れっこになっている我が身に、慄然とせざるを得ない。

それにしても思うのは、加害者のみをさらし者にして社会的に抹殺し、しかも被害者に至っては、死後も暴行写真が延々と拡散され、遺族の傷に塩を塗るような行為を社会全体で行っていることだ。
被害者はサインも発していたにもかかわらず、第三者は「ここまでになるとは思わなかった」という他人面。この他人面こそが、我が国の社会の縮図ではないのか。加害者も被害者も、「他人面の社会」に殺されてしまったようなものではないのか。

被害者の少年は、孤独な我が身にあって、不良グループのコミュニティは居心地が良かった部分があったと思う。結果的にそこから抜け出せなかったのだが、事件の起こったその日も、加害者を遊びに誘い出したところに、彼の哀しみがある。
また、加害者もかばってくれる仲間がいた被害者少年に対してコンプレックスが増幅されたのだろう。彼もまた、社会での居場所を失わされた結果、自らの暴力でもって居場所を作ることによってしか自己を見出すことができなかった。彼もまた孤独だった。

この事件の清算は、加害者の償いによってしか果たされない。ただ、それをもって終わりではなく、加害者・被害者のどちらもが陥ってしまった社会の落とし穴を埋めるために、私たちに何ができるか、を考えることが何よりも大切ではないか。綺麗事の理屈だろうけれど、両者をさらし者にして溜飲を下げているような社会に、これらの深刻な問題への根本的な解決など生まれようもないだろう。
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