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フランスで、大規模テロ事件が起きて数日経過した。事件の解明はこれから本格化するのだろうが、どうも色々と釈然としない。
被害に遭われたフランス国民が気の毒なのは言うまでもないが、問題はこの事件に反応している「世界市民」の方々だ。早くもFacebookでは、自分のプロフィール画像にフランス国旗を取り込み、追悼の意思を示し、「テロを許さない」という姿勢を出そうというキャンペーンが賑わっている。米国発のSNSで白人社会同士で細々やるならまだしも、世界を巻き込んで一斉に「テロダメ!ゼッタイ!フランス追悼!」とワンフレーズで埋め尽くそうというあたり、いかにもショービジネスに長けた米国ならではのアピールだ。

何もフランスがこのような事態に陥ったのは、シリア空爆を継続したことによる自業自得だというような、もちろん一理はあるにせよ、彼らを「やむを得ない犠牲だった」と冷酷に総括する気はない。
彼らの悲しみは想像するにあまりある。だからといって、いちいちSNSでこれ見よがしに「自分、追悼してます」と、時限的な陶酔に浸るなと思う。

そもそも、この変更設定がおかしい。プロフ画像変更期間が「一日」「一ヶ月」など設定できるのだが、追悼ってそんな軽いものではないだろう。本音ではさしたる関心もないのに、ひとたび今回のようなコトが起こると強迫行動のように世間の動きに同調しようとする現代人の軽さを思わずにおれない。
追悼というなら、なぜ連日空爆やテロに遭っているシリアやトルコの国旗を揚げないのだ。チベットや南蒙古・トルキスタンで弾圧されている人々を思わないのだ。日本国内においても、拉致された同胞に思いを馳せられないのだ。広島・長崎・福島・沖縄も全く終わっていないではないか。すべて、本人が意図しないところで命をないがしろにされている現実がそこにあるというのに。
命に差別はないと、よくいわれる。そうだと思う。ならば、今般のフランスでのテロの犠牲者に限っては思いの丈をこめて追悼の意思を示し、それ以外の国々(我が国も含め!)の命には、大々的に報道されないと関心も持てない。これでは、意図せずして命を差別していることと同じではないか。

フランスを特別視するなというのではない。追悼の形は人それぞれだし、Facebookで少しばかりの意思表示をしたい気持ちも分かる。生きながらえている私たちができることは、追悼に加えて、いつも通りの日常を過ごしつつ、現今の情勢を冷静に考えることに尽きよう。
「今こそ米国様について行こう」「今こそ護憲だ九条だ」とガラパゴスな結論で自己満足するのではなく、もはや民族間闘争の時代に足を踏み入れつつある現状への覚悟、私たちに残っているか?
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2015.11.09 就活
日本経団連は、大学生の就職活動について、現在8月となっている大企業による面接などの採用選考の解禁日を、6月に前倒しする方針だという。それに伴い、学生の就活も繰り上げられるわけだが、あえて言おう。「就活って、そんなに大事か?」と。

個人的なことで恐縮だが、私は就活をしたことがない。バイト探しならともかく、就活ともなると、自己分析に企業研究に面接漬けの日々を送る。現在、私も正業は持っているが、いわゆる就活を通してのものではない。そういう活動を通して入社した人々からすれば噴飯物だと思う。
よって、私自身は就活について偉そうに語れる資格なぞまるで持ち合わせていないのだが、それでも就活は本当にそんなに大切なのだろうか、とつい思ってしまう。

就活は、言うまでもなく在学中に行う。ここからしてもうおかしい。学生の本業は勉強だろう。勉強をしっかり修めてから就活するならまだしも、在学中に学外のことに目を向けさせられるとは、気の毒にさえ見える。そんなに進路を急がなくても、在学中に勉強が面白くなり、まだもう少ししておきたいと思う向きもあるだろう。
卒業してから、ゆっくりじっくり考える時間があっても良いだろう。
このように書くと、「青いなぁ」と思われるのだろうけれど、人生は生きている限りやり直しも利くし、「空白の期間」が人生の中に数年間あっても良いように思うのだが、如何。

ともあれ、就活が前倒しになるということは、出来るだけ早いうちから外に目を向けさせようという企業側の理屈があるのだろうけれど、そうなると余計にプライベートの活動は制約が生じよう。まして、SEALDSのように、ちょっとでも政治的活動に参加でもしたら、いわゆる世間様からは「就職に差し支える」と落伍者のレッテルが貼られるだろう(笑)。それがどーした、と向こうを張る若人がもっと増えることを願う。
2015.11.03 奉祝 明治節
明治天皇の御聖徳をお偲び申し上げます。

二六六五年霜月三日
大東亜青年倶楽部



私は常々、左右に限らず、政治運動に使用される街宣車はサブカルチャー・都市風俗として研究対象になり得る媒体だという思いをもっている。車体にスローガンを大書し、街中を走るという特徴はもとより、改造のパーツや色彩センスなど、もはや運動主体にとっても、政治的な目的よりもアートとして制作しているのでは、と感嘆せざるを得ない車が存在するのは、日本くらいのものではないか。実際、以前のブログにもそういう記事を書いたことがあるが(http://daitoaseinenclub.blog61.fc2.com/blog-entry-253.html)、やはり同様の考えを持ち、独自の創作活動を展開していたアーティストがいたようだ(http://abtm.jp/blog/287.html)。この方は、幼少の頃より病気で外出がままならず、暇をもてあまして始めたのが街宣車・デコトラ制作だったという。いわゆるアウトサイダーアートに属するのだろうが、そうした団体には入りづらくとも、どうしてもあのフォルムを自分の手で形にし、悦に浸る気持ちは分かる。当然、模型会社がそうした車を販売することなどできもせず、ならば自分でやるしかないという気概には驚嘆の一言だ。

さて、先日も恒例の演説会に参加したのだが、今回はなんと車上でライヴをやりたいという青年が現れた!聞けば、ライヴはかなりの数をこなしているらしく、いつもは路上でやっているけれど、縁あって車上で(!)ということに相成ったそうだ。歌もプレイもうまく、足を止める方多数。いつもはこんなに注目なぞ集めないのに…(笑)。やはり、歌の力はスゴイ。
もっとも、私たちも演説中はそうしたパフォーマーの方々の時間をいただいているわけだし、なんとなれば車上でプレイしていただくことも可能なことが実証されたわけか(笑)。
左様、私たちも含め、路上のパフォーマンスは一貫してバサラなのだ!こんなコラボも出来てしまう街宣車は、やはりサブカルだ!
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