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2015.05.30 大学生の生態
以前(平成27年1月15日付)、当ブログで「ぼっち」席について書いたことがある。
ある日、ネットを見ていると、昨今のいわゆる「大学生」の生態がなかなかに興味深い。
「キョロ充」「真面目系クズ」「コミュ障」「ヲタ」「スイーツ(笑)」「厨二病」など、様々な生態に分類できるらしいが、一見した限りではその言葉がどのような意味を持っているのか分からない。
たとえば、「キョロ充」とは、キョロキョロあたりをうかがいながら群れを作ろうとする学生を指し、「真面目系クズ」は、一見真面目そうな雰囲気を持ちつつも、中身がてんで伴わない学生のことをいうらしい。いずれにしても、ポジティブな意味合いで評価できる言葉でないことは確かなようだ。

それにしても、今の学生はそんなに「劣化」しているのか。中にはしっかり考えている子もいるだろうし、ひとくくりにはできないが、少なくとも思うことは、そこまで「一人」が嫌で、他人とコミュニケーションをとりたくないものだろうか。
社会に出れば、孤独も挫折も面倒なコミュニケーションも全部こなさなくてはいけなくなる。現に私なども、きっと上の生態のどれかにあてはまるだろう。でも、根が単純なのか、そうした性質を自身で理解している。「人とあまり絡みたくはないけど、話は好きな、いい加減な自分」が好きだ。要は自分のパーソナリティをきちんと受け入れているか、だろう。

そう考えると、今の学生も自虐的な規定をしつつ、実は案外そんな境遇を楽しんでいるのかもしれない。上のような生態区分にいる自分を笑い飛ばし、目の前のことにきちんと向き合っているのかもしれない。
別に社会にいる全員が高学歴でいる必要もないし、コミュ障であっても何とか生きていける。というより、社会はそういう人で一杯だ(笑)。今の学生、こういう現実を意外と冷静に見ていて、きちんと彼らなりに受け入れた上で、上記のような表現をしているのだとしたら……結構侮れない存在だろう。やはり若者は強いのだ。否、強くなくてはいけない。
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先日、神戸で「第一回 我が国の歴史と名誉を回復する啓蒙街宣」が開催された。
晴天の中、60台以上の車両が参加し、4時間にわたり演説会も行われた。若手活動家の参加が多かったようだ。

実は私も神戸には行ってみたが、外出時間が遅かったため、三宮に着いた頃には、すでに行程は終了していた。そのまま帰るのもしゃくなので、海を眺めたり、久々の神戸の街を散策することにした。
ひとしきり歩き、そろそろ帰ろうと三宮駅に向かうと、大きな声が聞こえてきた。その方角に向かうと、一人の老人が拡声器を通して主張していた。そばには軽自動車が止めてあり、車体全体に主張が書かれてある。どうやら右翼志向の内容だ。また、車両の屋根には、「菊水楯の会」と手書きの文字が躍っていた。
これで興味をいだかないハズがない。

演説の内容は、かのイラク戦争が間違いだらけであったことを指摘した上で、小泉政権と公明党を非難していた。そして、日本がとるべき「道」について、独自の宗教観も交えつつ訴えていた。あの頃の総括もろくにしていないから、事態はより深刻になっている、と。

主張の全部は賛成できなかったが、なかなか面白い内容だったので、演説終了後話しかけてみた。
聞けば神戸に長く住んでいて、街頭に出ての活動は10年ほどになるという。長く民族派運動に携わってきた、というより、何らかの個人的な契機があって辻立ちをはじめたようだ。
立ち止まって聴く人はほとんどいない、と苦笑しながらも、「ほんまは皆、気づいているはずなんや。でも、そこからの行動がない。心を開かせんとあかん」とのこと。その苛立ち、分かる。

残念ながらビラなどは作っていないようだったが、「俺はインターネットとか知らんから、写真とかいくらでも撮ってええし、そういうところに広げて欲しい」と話していた。ということで、写真とともにアップさせていただきます。

次に会うことは…多分ないかもしれない。でも、地道に自分の意見を、反発されながらも訴え続ける姿は立派だと思う。「少し休んで、駅の北側でもう少ししゃべる」と走り出した車に「健康に気をつけてがんばって下さい」と見送った。
関西の若手行動派による、新たな潮流を作り出すべく、継続的な運動を展開する試みです。心ある方は、是非耳を傾けてみられてはいかがでしょう。



【日にち】
平成二十七年五月二十四日 日曜日
【場所・時間】
集合場所 神戸ポートアイランド
集合時間 午前十時集合
国民儀礼 午前十一時開始予定
出動時間 午前十一時三十分
活動形態 公安条例に則る
停止街宣 午後十二時から四時 大丸神戸店前
最近、あるお寺の催しに参加している。毎月あるテーマをもとにざっくばらんに話し合おうというもので、テーマも政治から下世話な話まで幅広い。参加・退場も自由。議論は時に白熱するときもある。それだけ、皆日々色んなことを考えて生きているのだ。楽しいし、また頼もしい。
ちなみに、通算で15年ほど継続しているらしい。ともすれば、こういう緩やかな集まりは、いつの間にか解消されていることが多いものだ。緩く長く、とは簡単に言えるが、そこには主宰者(ここでは、ご住職)の固い意志がなければ、やはり無理だ。フランクな集まりとはいっても、その熱を継続し得ているのは率直にスゴイことだと思う。
この際「何もお寺なんかで…」などとカタいことをいうのはよそう。生臭の、あほんだらの坊主も山のようにいる。けれども、きちんと、本気で社会と向き合って苦闘している僧侶も、同じく山のようにいる。身内にしか通じない専門用語で自己称讃し合っているだけの集まりに留まっているくらいなら、色んなところに出て、気負わずにあれこれ議論する…どの世界にも言えることだ。
このお寺では、社会との接点を失ったら、自らがダメになるという危機感があったからこそ、この催しを続けてこられたのだ。

で、先日もその集まりに行ってみたが、お題は何と「国防について」。昨今の政情も反映されているのだろう、刺激的な話が展開された。
そもそも、「クニ」とは何か。何を「守る」のか。私は自分なりの回答は持っているつもりだが、参加者それぞれの国家観が聞くことができたのは面白かった。そして、皆きちんと国のことについて、温度差はあれ、きちんと考えている。結構感激した。そこでやはり思う。私たちの考えている国家観も、多様な見方の一部分に過ぎず、それを全体に敷衍するのは不可能だ。もちろん、理想は高い方がいい。でも、こうしてあれこれ色んな価値観を共有できるのも、また我が国の良い部分ではないのか。この雰囲気もまた、守っていかなければならない。
2015.05.11 楠公祭

昨日、大阪府は北摂の島本町で、「楠公680年祭」が催行された。晴天の下、桜井驛跡公園(楠木正成が、子の正行と今生の別れを告げた地で、昭和10年の600年祭の時に記念公園として整備され現在に至る)にて、合唱に和太鼓、コーラスなど思い思いに歌声が響き渡った。皆で「楠公の歌」を歌い、胸が熱くなる催しだった。

一頃、政治的にも特殊な色彩を放つ北摂の地でこういう趣旨のイベントをやろうものなら、「右傾化だ」「戦時中か」など、散々に批判されただろうに、今となっては心ある国民が中心となり行政が後援となるまでになった。時勢もあるのかもしれないが、しみじみ地元に生きる人間にとっても「変わったよなぁ」と感じざるを得なかった。

次は、690年だろうか…いつになるかは未定だろうけど、歴史の先人を慕い、学ぶことはやはり大切な作業だろう。歴史への過度な賛美は慎むべきだが、身近に「楠公さん」の精神を偲ぶひとときはあっても良いだろう。


「楠公の歌」
落合直文 作詞、奥山朝恭 作曲。明治36年発表

-桜井の訣別-

1.
青葉茂れる桜井の
里のわたりの夕まぐれ
木の下陰に駒とめて
世の行く末をつくづくと
忍ぶ鎧の袖の上に
散るは涙かはた露か

2.
正成涙を打ち払い
我が子正行呼び寄せて
父は兵庫に赴かん
彼方の浦にて討ち死せん
汝はここまで来つれども
とくとく帰れ故郷へ

3.
父上いかにのたもうも
見捨てまつりてわれ一人
いかで帰らん帰られん
この正行は年こそは
未だ若けれ諸ともに
御供仕えん死出の旅

4.
汝をここより帰さんは
我が私の為ならず
おのれ討死為さんには
世は尊氏の儘ならん
早く生い立ち大君に
仕えまつれよ国の為

5.
この一刀は往にし年
君の賜いしものなるぞ
この世の別れの形見にと
汝にこれを贈りてん
行けよ正行故郷へ
老いたる母の待ちまさん

6.
共に見送り見返りて
別れを惜しむ折からに
またも降りくる五月雨の
空に聞こゆる時鳥
誰か哀れと聞かざらん
あわれ血に泣くその声を

-敵軍襲来-

7.
遠く沖べを見渡せば
浮かべる舟のその数は
幾千万とも白波の
此方をさして寄せて来ぬ
陸はいかにと眺むれば
味方は早くも破られて

8.
須磨と明石の浦づたい
敵の旗のみ打ちなびく
吹く松風か白波か
よせくる波か松風か
響き響きて聞ゆなり
つづみの音に鬨の声

-湊川の奮戦-

9.
いかに正季われわれの
命捨つべき時
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第一日曜日の今日は、梅田の定例演説会。
連休でも、言うべきことはしっかり言います。

途中、路上に見慣れない車が…。今では珍しい屋台が横切りました!今度見つけたら、一杯飲もう(笑)。
2015.05.01 メイ・デイ
本日はメイ・デイ。いわゆる労働者の祭典だ。現在、その参加者も左傾化・高齢化の一途をたどっているようだが、日々しんどい思いをしながら仕事に汗している者に、本来右も左もあるまい。皆、あちこちを奔走し、仕事のあとの酒で疲れを癒やす。これこそが生きがいというのかもしれない。
その日々の労働は、天下のカネを動かし、「日本丸」を動かす原動力となる。私たちこそ、日本を動かしている主体者であることを自覚しよう。毎日の労働に勝る愛国運動はない。
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