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2015.03.27 〇か×
yesかnoか。〇か×か。善か悪か。正か負か。・・・反日か親日か。
最近、こういう「どちらかしか認めない」とする風潮が蔓延しているようだ。どちらかにハッキリとカラーリングすることで、自らに「きちんとした立ち位置」にいると言い聞かせ、「世界では、ちゃんとみんな自分のスタンスを言うのだから、コクサイジンたる私たち日本人も、ハッキリとモノを言わないといけない」というところだろうか。
自らを世界に合わせようとするあまり、本来私たちが持っていたはずの民族的性質を忘却していないか。それは言うまでもなく、「いい加減」さだ。もっとも、ここでいう「いい加減」とは、だらしのないルーズな様のことを指しているわけではない。

日本は島国だ。それ故の長所・短所もいくらでも思い浮かぶが、その中の1つとして「いい加減」という性質があると思う。たとえば宗教にしてみても、仏教・神道・キリスト教、最近はイスラム文化への関心も高まっている。私たちは、そのどれか1つだけしか選択肢がない世界には生きてこなかった。うまい具合にどれもミックスさせ、生活にほどよく溶け込ませてきた永い智慧が蓄積されてきた。

戦後70年が経過し、いわゆる国際社会の一員として、物質的に
も精神的にも欧米風にならされてきた私たち。タイトルにもある、二項択一文化は、戦後の精神的産物なのだろうか。

アンケートにもある、「どちらでもない」、シロでもクロでもない「グレー」、〇と×の間、△の領域、そして反日でも親日でもない、「どっちもよく分かる、分かりたい自分」。右でも左でもない、「仲翼」(これはあるブログタイトルからの受け売り)。日ごろ、特定の立場の極点に存在することを自認するからこそ、中間の世界をも大切にしたい。
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米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題で、翁長雄志知事が岩礁破砕許可を取り消す方針だという。英断である。強く賛同したい。
また、辺野古周辺の海域には、琉球船の碇石が沈んでいるともいわれ、歴史的にも重要な発見が期待されているところだ。米軍の言いなりで土地を埋め立て、敵機(いうまでもなく米機)を飛来させるような愚を繰り返さないよう、強く願う。
ところが、政府は今般の沖縄県の方針を不服として抗告訴訟を提起し、また行政不服審査法による不服申し立ても行う方針だという。中谷防衛相は、「我が国は法治国家であり、今回の沖縄の反発は受け入れられない」と息巻いているらしいが、つくづく頓珍漢な見解だ。
辺野古移設が閣議決定されたものとはいえ、沖縄県の今般の判断や意見に対して聞く耳も持たず作業を押し通そうとすることに、どこが法治的なのか逆に問いたい。米国にはヘイコラし、国内に対してはいつ・どこでも居丈高な態度をとり続けている限り、沖縄県が政府に対し理解を深めることも、不信感をぬぐうこともできないだろう。
そこへきて国内では、反沖縄のうねりがあるという。「政府に反発ばかりしている沖縄は反日県だ」「いっそのこと沖縄は独立して中国の属国に入れ」などという信じられない意見が出ているという。
沖縄は、反日でも何でもない。米軍の負担が沖縄だけに集中することに対して違和を訴え、ゆくゆくは米軍の管理下に置かれず、日本人による日本人のための国を目指そう、といっているだけだ。それに今、仮に沖縄が独立して、一体誰が得をするのだ。それは中国でも誰でもない。米国だろう。沖縄独立論こそ、米国の植民地化を促そうとする極論でしかなく、このような同胞意識のかけらもない意見が出ていることは憂えるべきことだ。

今こそ、私たちは沖縄の声に耳を傾け、政府がやろうとしていることと国内の意見の齟齬をはっきりさせなければならない。それは、何も基地問題に限らず、外交・教育・経済ほぼ全てに言えることだろう。
昨日、三原議員による八紘一宇発言について雑感を記した。これに限らず、最近は日本を過剰に褒め称える本が溢れかえり、またテレビでも「世界がスゴいと認める日本」をテーマにした番組が多い。自己を客観的に振り返る作業は必要ではあるけれど、その際いいところだけをつまみ食いするような方法は感心しない。
他者に称讃を求め、安らぎを感じる現代日本人。これもまた、アイデンティティの1つだろうか。

今さら、自虐史観一色の時代に戻れとはいわないけれど、それでもあの「日本嫌いの教育現場」に育てられた我が身を振り返ると、ああいう時代の空気の意味はどこにあるのか、とたまに考える時がある。
小学校の頃から、南京事件の写真を授業で見て、原爆の悲惨を様々なメディアで焼き付ける。後者は、確かに現在でも意義のあることだったが、南京や慰安婦など、歴史的にぶれのある事件(念のためいっておくと、私自身はこの問題が「なかった」といっているのではない。事象としては、確かに「あった」はずだ)について、色んな媒体で見せられたことは、子ども心にも結構ショックだった。そして、思うのだ。「日本は、悪いことしかしなかったひどい民族だ。だから、反省しなければならない」と…。私の子どもの頃は、この感情を持つことが当たり前だった。

ところで、外国は基本的には自分たちの行為・発言について、日本人ほどには反省もしないし、自己批判もないという。ところが我が国は、70年間にわたってそれを過剰にやってきたのだから、もうここらで自らを貶めることは止め、外国と対等に渡り合うためにも誇りを持とう、という風潮が主流になりつつある。ここで、敢えて立ち止まって考えたい。
私たちは、「恥」や「穢い」という観念を嫌う。嫌うということは、逆にいうとそれについて客観的に見ることが出来るということでもある。私たちは、戦前を「恥」と考え、「悪い」時代だと規定してきた。一方で、強くて美しい時代であったことも知っているのだが、敢えて暗黒時代だと見ることによって、今のヘーワを噛みしめてきたつもりだ。ただ、我が国の両面を冷静に見ることが出来るのもまた、私たちの特性だ。それを「誇り」とすることはできないのだろうか。
何も、民族の「誇り」は、「強くてカッコイイ自分」だけにあるものでもない。自らの黒い面を見られることも、1つの「誇り」としても良いのではないか。なればこそ、昨今の、「自分好き」だけが横行する「誇り」には、少し違和を覚える。
三原じゅん子参議院議員が、予算委員会の質問中、「今こそ日本は、八紘一宇の精神に立ち返らなければならない」という旨の発言をしたことに対し、じわじわと波紋を呼んでいる。かつて、こういう発言が出たならば即刻審議中断・議員辞職ものの騒ぎに発展していただろう。昨今の議員の質の軽さといい、こうした発言といい、「思えば遠くへきたもんだ」と、武田鉄矢の歌の文句でもつぶやいてもみたくなる(笑)。
三原議員のサイトを見てみると、本人による釈明?の記事がアップされていた。読めば、「侵略を正当化する意図で発言したのでは断じてなく、「全ての人が仲良く平等に生きられるように」との趣旨での発言だった」といい、『日本書紀』も引きながら、「丁寧に」説明されている。同記事へのコメントは、ヨイショばかりで反吐がでる内容ばかりだったが(笑)、仮に彼女の発言が正しいとするなら、「戦後レジームからの脱却」を精神的に可能にするものなのだろうか。
もし、そうならば、他の議員から「対米従属からの脱却」の声や、米国による原爆・虐殺の正式謝罪を求める声が上がって然りではないだろうか。ところが、他の「勇ましくて、ウケーカ」を推進しようとしているらしい議員から、こうした声の1つも上がらない。日本共産党の方がよほど勇ましい。
そうした与党のいい加減さを見ると、民主党政権時の「沖縄米軍基地は少なくとも海外に」といった発言の方が、よほど日本の真の独立を考えるきっかけになっていたのではないかと思えるのだが、如何。そこでまた、「沖縄から米軍が出て行ったら中国に侵略されるから、もうしばらくは我慢が必要だ」という反論を言おうものなら、それこそ米国による日本奴隷化を強めるだけで、真の日本の独立を考えたものとは到底いえないだろう。

三原氏の発言への評価は、どちらともいえない。その発言がきっかけになって、以上のような、米国からの本当の独立を目指す機運が高まるのなら話は別だが、そんな気配は起こりそうもない。であれば、放置しておくか、さらに突っ込んだ問題提起を促すよう、国民から突き上げるか、の2つしかないだろう。そして現状では、どちらの選択肢を採っても、米国の楔から解き放たれる可能性はほぼ無いのである。全く「なんばしよっとか!」という気分だ。


今日の福島忌に合わせ、関電本店前でも国民有志により抗議行動が行われた。

午前8時~午後8時まで、12時間にわたるスタンディング抗議行動。
原発事故の完全終息もせぬまま、再稼働に向け歩を進める政府と電力会社。
この4年で、何を教訓にしてきたのか。

御霊の追悼はもちろん、地震により引き起こされた原発事故についても、総括も何もしないまま、この日を忘れてしまおうとしている。それではいけない。

少なくとも私は、福島に山河が戻り、天皇陛下の行幸を再び仰ぐ日が来るまで、原発問題から目を反らせたくはない。
2015.03.11 福島忌
東日本大震災から4年を迎えた。もう4年、まだ4年。様々な感慨が交差する日だろう。まずは、犠牲になった同胞の御霊の安らかならんことを念じ、そして平凡な日常を生きられることの尊さをかみしめたい。
タイトルに、福島忌と打った。不謹慎な表現かもしれないが、4年経過しても復興もままならず、故郷に帰ることが出来ない現実、政府は原発の稼働を止めようともしない。そして何よりも重大なのは、この日本で今上陛下の行幸を仰げない地が存在し続けているということだ。東北の同胞がたくましく復興に向かって進んでいることは、よく分かる。しかし、皇土が原発によって半永久的に汚され、美しい山河を見ることが再び出来なくなってしまったという意味で、東北は、否日本はあの日「死んだ」。福島忌が明けるのは、復興が完全に果たされた時だろう。

ところで、この日に合わせて、全国各地で黙祷が行われるが、なんとそれに反対する集団があるという。色々見ていると、政府主導の黙祷は原発立国を追認するものだから、これに反対しなければならないという。理解に苦しむが、黙祷をする、しないは個人の自由だろう。しかし、私たちはこの日に何があったか、そして忘れないために最も簡潔にできる行動が黙祷だということを知っている。その純粋な行為に対してさえ、拒否を強制し、同胞の痛みを分かち合うことにすら難癖をつける。あまりにも哀しい。
今日は、戦前であれば帝国陸軍記念日という佳節だった。当時の国民がどのような形でこの日を祝っていたか、詳しいことは分からないが、少なくとも国軍創設の意義を考える機会としてはしかと機能していた日であったのだろうと思う。
その日をあてこんで、昭和20年のこの日、米軍が東京大虐殺を行った。これにより国民の戦意はほぼ喪失したといっても過言ではない。物質的・精神的に崩壊せしめていった米軍の卑怯な戦法を、私たちは徹底的に批判しなければならない。
2015.03.09 二つの孤独
川崎市で痛ましい殺人事件が起こり、数々の新しい事実が掘り起こされている。
いずれも信じ難い内容だが、現実にこういうことが、今日も我が国のどこかで起きつつあり、かつそのことに対し慣れっこになっている我が身に、慄然とせざるを得ない。

それにしても思うのは、加害者のみをさらし者にして社会的に抹殺し、しかも被害者に至っては、死後も暴行写真が延々と拡散され、遺族の傷に塩を塗るような行為を社会全体で行っていることだ。
被害者はサインも発していたにもかかわらず、第三者は「ここまでになるとは思わなかった」という他人面。この他人面こそが、我が国の社会の縮図ではないのか。加害者も被害者も、「他人面の社会」に殺されてしまったようなものではないのか。

被害者の少年は、孤独な我が身にあって、不良グループのコミュニティは居心地が良かった部分があったと思う。結果的にそこから抜け出せなかったのだが、事件の起こったその日も、加害者を遊びに誘い出したところに、彼の哀しみがある。
また、加害者もかばってくれる仲間がいた被害者少年に対してコンプレックスが増幅されたのだろう。彼もまた、社会での居場所を失わされた結果、自らの暴力でもって居場所を作ることによってしか自己を見出すことができなかった。彼もまた孤独だった。

この事件の清算は、加害者の償いによってしか果たされない。ただ、それをもって終わりではなく、加害者・被害者のどちらもが陥ってしまった社会の落とし穴を埋めるために、私たちに何ができるか、を考えることが何よりも大切ではないか。綺麗事の理屈だろうけれど、両者をさらし者にして溜飲を下げているような社会に、これらの深刻な問題への根本的な解決など生まれようもないだろう。

昨日は雨の中、定例の演説会に参加。

いつも思うことだが、この会、どんなに天気が悪くても欠かさず二時間きっちり遂行するところがすごい。継続は力なり、を実感。

でも、出来ることなら、来月は良い天気であってほしい(笑)。
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