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イスラム国により、我が国の同胞が殺害予告されるに至った。安倍政権は、「テロとの対決。しかし、生命は最優先」などとうたっているが、同胞の命が危険にさらされても、それを見捨ててきたのが自民党政権だ。小泉政権時、中東世界で何名もの同胞が殺され、拉致されたことに対し、国ぐるみで「自己責任」と同胞の生命を棄ててきたのは、一体どこの国だったか、を省みなければならない。
もちろん、わざわざ危険な地帯に潜入した2名の同胞も、明日の運命が暗転することへの覚悟はできているだろう。しかし、仮にそうした精神の持ち主であっても、生命が脅かされるような事態になれば、是が非でも救う手立てを講じるのが国家であり、彼らの行く末を案じるのが私たち同胞の義務でなければならない。
少し前、あるインタビューで「今の我が国には「同胞感」が薄れてきている」と語られたくだりに目を留めたことがある。その通りだな、と思った。
全国各地で起きている天災しかり、今回のような海外での事件しかり、発生したまさにその時は「同胞感」は少しだけ高まる。だが、この国の悪弊として、それらはのど元過ぎれば…といわんばかりに忘れられてしまうのが常だ。
何分、私たちは忘れる生き物だ。四六時中常に他者のことを考えることは無理だ。しかし、遠い土地で、故郷を同じくする人間のことを思い、何事かあれば奔走する勇気がなくなってきていないか。ムハンマドの諷刺画に対して抗議の声を挙げているイスラム教徒の団結に、同胞感を見てしまうのは、彼らが一つの信念のもとに精神的な紐帯を世界的に維持し得ているからだろう。

いずれにせよ、同胞の無事を心から祈る。そして、無事に帰国してほしい。「自己責任だ。彼らを救うのは私たちの税金からまかなわれる」、などと寂しい思考で彼らを見下すのはよそう。
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今から20年前の大震災にて亡くなられた数多の同胞の御霊に対し、心から哀悼の念を捧げます。
ご遺族にとっては、いくら時間が経ってもあの日は埋めようのない悲劇とお察しします。
しかし、それでも、前を向いて生きていく、そして伝えていく…私たちに残された責務と言えるかもしれません。

睦月17日
阪神・淡路大震災忌にて
2015.01.15 ぼっち
近年、大学の食堂で「ぼっち席」が広がっているという。もともと、友人や恋人がいない状態をさしていたが、今やそれに限らず一人行動そのものを指すという。
今の学生にとって、一人でいることは落ち着かず、常に誰かといたい欲求から、学食で一人での食事は見られるのが辛いのだという。よって、学食のテーブルに仕切りを作り、「ぼっち」でも気兼ねなく食事が出来るよう大学側が「配慮」した格好だ。
このニュースを見て愕然としたのだが、今の学生、ここまでケアをしないとやっていけないのか。いずれ社会に出たとき、否でも応でも「ぼっち」な状態を少なからず経験しなければならないのに、そこまで孤独感への抵抗があることに大きな違和感を覚えた。

確かに、人間一人では生きられない。誰かに助けてもらい、支えがあってこそ生きていく存在だ。しかし、その過程で「孤独」な状態が一瞬もない人生とはどういうことだろう。
孤独な経験があってこそ、周りの喧噪や声の有り難さも分かるだろうし、むしろ孤独な時にしか出来ない営みもあるだろう。孤独でいられる自分を尊び、そんな自分が好きだ、と堂々と言えないものだろうか。

私たちの周りも、基本は群れず単独であちこち興味の赴くままに行動する。それ故の緊張感は常にある。しかし、一人で考え、動き、話すことが大いに自由な生き方であることは保証する。
孤独を愛せる人間の方が、私はかっこいいと思う。
2015.01.04 新春祈願祭




毎年1月4日、伊勢神宮の玄関口、伊勢市駅前で、有志により新春祈願祭が執り行われている。
新年を寿ぐとともに、時局を大観する。

今年初めて見学、参加してみた。晴れやかな空の下、大勢の参拝客とともに、日本の永遠の安寧と発展を祈願した。

散会後は、有志とささやかな新年会。侃々諤々・喧々囂々・談論風発・百家争鳴の論議を展開。今年も、好きな時に、好きな場所で、好きなことを言い続けようと思う。
2015.01.01 謹賀新年

謹んで新年の御祝詞を申し上げます。

本年も明るく楽しく生きて参りましょう。

乙未卯月朔日
大東亜青年倶楽部
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