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2014.12.27 心に日の丸を
仕事で通る地下道に、小さなギャラリーのようになっている一角がある。そこでは、定期的に作品が入れ替えられ、せわしなく動く人びとの目を一時だが和ませている。
今、そこには子どもたちの絵が飾られている。水彩で描かれたそれらの絵は、平和をテーマにした内容のようだ。どの子の絵も色鮮やかに描かれ、楽しい。
地球の上で手を繋ぎ合っていたり、鳩がおどっていたり、各国の国旗をあしらっていたり…。そして、さらに素晴らしく感じたのは、多くの絵に日の丸が綺麗に描かれていることだった。
学校教育の場で、国旗や国歌を正しく教えない、あるいは教わる機会がないと嘆く向きもあるが、子どもたちの心にはちゃんと伝わっているようだ。日本の国旗を作品に用い、しかもそれらを平和の象徴として描いていることに。
日の丸がネガティブなイメージで見られたり、語られることも時にはある。しかし、そのようにしか見なせないのはごく一部で、大半の日本人は親しみを持ち、敬意を払っている。そして、子どもたちにもその思いを正しく継承したいものだ。
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昨日は天長節。全国各地で奉祝行事が行われたことと思う。大阪でも有志が集い、街ゆく人びとと共に、天長節を御奉祝申し上げた。
その後、少しばかりの想念会。互いに抱負を述べあいながら鯨飲。一献歌も久々に聴くことが出来た。やはりいい歌だ。これを機に、また歌っていこうと思う。

男の酒の嬉しさは
忽ち通う意気と熱
人生山河険しくも
君杯を挙げ給え
いざ我が友よまず一献

散会後、地元に戻ると、脱原発行動の有志がアピールしていた。月2回、地道に行動しているようで、私もほろ酔いながら一言させていただいた。祝日ながら、頭が下がります。
2014.12.23 奉祝 天長節
今上陛下八十一歳の御誕辰を 国民一同心からお祝い申し上げます

師走二十三日
大東亜青年倶楽部


「天長節の歌」
今日のよき日は 大君の
生まれたまひし よき日なり
今日のよき日は 御光の さしでたまひし よき日なり
光あまねし 君が代を
いはへもろひと もろともに
恵みあまねし 君が代を
いはへもろひと もろともに
2014.12.18 米国のお家芸
米国が、キューバと国交正常化に向けて急発進するという。オバマ大統領は、これまでの米国のキューバ政策が誤りであったことを認め、関係修復に本格的に乗り出すという。
人気が凋落する一方にあるオバマ・民主党にとって、乾坤一擲の大事業になるかどうか。
当のキューバ側はどう捉えているのだろう。思えば、共産革命に確実に成功した世界で唯一の国である。米国との国交によって、キューバのアイデンティティを損なうことにはならないのだろうか。

そして、米国がこういうことを急に言い出すのは、大抵裏には侵略の可能性が高いということも忘れてはならないだろう。
これまでも、中南米ではメキシコ・パナマ・アルゼンチン、アジアではハワイ・フィリピン、中東ではパキスタン・イラクの例にあるように、最初はアメで擦り寄り、友好を築けたかと思えば、手のひらを返したように侵略を行う蛮行を世界中で行ってきた。
これと同じことを、キューバに対して行わないとも言い切れない。キューバには、半世紀以上米国に抵抗してきたアイデンティティに賭けて、すんなり首を縦に振るような真似だけはしないでほしい。
アジアには、半世紀以上、米国にひたすら隷従してきた国もあるのだから…。
パキスタン北部の小学校をイスラム武装勢力が襲撃、100名以上の子どもたちが無残に殺された。襲撃したグループはパキスタン軍により鎮圧され、全員死亡したそうだが、それにしてもあまりにも惨たらしい。共闘関係にあるタリバンですら非難声明を出したほどだという。
先日、ノーベル平和賞を受賞したマララさんへのあてつけでもあるようだが(もっとも、マララさんの行動は讃えるが、どうも白人勢力をはじめとする「国際社会」に宣伝利用されているきらいもあるが)、そういったことを差し引いたとしても、罪の無い子どもを標的にすることは、やはりどんな宗教・政治的信条に照らし合わせても、許されるべきことではないだろう。

しかし、ここでこの武装勢力を非難して怒りに任せるのも、また少し違う。
そもそも、イスラム世界をここまで混沌に陥れたのは誰か、を考えなければならない。今さら引き合いに出すまでもなく、米英をはじめとする白人勢力だろう。
彼らこそ、謂われのない理由をつけてイスラム世界へ侵入した張本人ではないか。
米英の空爆で死した子どもたちを悼み、彼らを怒ることはしないのか。そして、それに最大限荷担したのは、戦後似非日本であった。その日本が大切にしてきたヘーワケンポーが、こうした暴行になぜ歯止めを利かせられなかったのか。
彼らの死を悼み、武装勢力を怒ることはたやすい。しかし、こうした悲劇の原因を作ってきたのは何か、これこそをえぐり出し、自己批判しなければならない。
違憲茶番劇、衆議院選挙もようやく終わり、国民はいよいよ国運が混迷を深める道を選択した。
二大政党制の揺らぎとか、自民一強体制への不安とか、色々と論評されているが、どの選択肢をとっても、戦後米国隷属体制の補強と延命に過ぎず、むしろこれを打開するためには、世情が混迷を極め、奈落の底に落ちきらなければならないのかもしれない。

さて、そんな折、ある方から手紙をいただいた。
詳しい内容は控えるが、「今、色々な縁があって、本をたくさん読んで修養している。今は我が身を振り返るのに格好の時間だ」との旨の文章が綴られていた。
まっすぐな気持ちだ、と思った。普段、私たちも本におぼれて暮らしているが、手紙でまっすぐにこういう気持ちを吐露できるだろうか。知識を得れば得るほど、さらに知識欲が湧く。そして、それに比例して理屈も増える。なかなか「自分がなぜ、どういう目的で本を読んでいるのか」を的確に表明できる方は、多くはないだろう。

さて、こういう手紙を前にして思ったのは、世情のあれこれに触れ回されたり感情をかき乱されること無く、ただしっかりと本を読むという行為が、いかに尊いか、ということだった。
世間を背にし、深く己の内面を磨くこと。日ごろ忘れかけていた感情が、少しだけ蘇った。
私たちの界隈では、ブルーリボンや日の丸などのアクセサリを身につけている人が多い。
もちろん、これらを身につけるということは、それなりに、拉致問題・国家意識に自覚的な証拠ではあるのだろうけれど、案外運動以外の人々からみれば、それが何を意味しているのか、ピンと結びつかない人が多いようだ。
むろん、多少なりとも政治に関心のある人は、それらを見ると、その人物がどういう思考形態の持ち主なのか想像もつくのだろうが、案外そこまで見極められる人は少ない。
つまり、ブルーリボンだ日の丸だ、と意識的に使いながらも、それが社会に浸透しているかといわれれば、必ずしもそうではなく、むしろ一部の政治屋が身につけている飾りとしてしか認知されていない可能性もある。
私も、意識的にこれらを身には付けているが、他人から「何それ?」と尋ねられると、なるべく説明するようには心がけている。しかし、ピンクリボンやオレンジリボンなどに比べると、まだまだ関心が広がっていないのだな、とちっぽけに感じてしまう。
そして、さらに具合が悪いのは、やたら勇ましいことを叫ぶことが正義で、愛国的だとされている今日、そういう人々の多くがこれらを身につけていることだ。
これでは、ブルーリボンも日の丸も泣くというもの。愛国面しているはずが、実はそういう信条を貶めているという、一昔前に民族派陣営に対して投げられていた非難が、「愛国的な人」自身に返ってきているという滑稽な図式になっている。
そして、さらにいえば、本来ならこれらを身につけなくとも良い社会が、本当に正しい姿のはず。果たして、これらを外せる日は来るのだろうか。
本日、特定秘密保護法施行。一部の意志のある人々を除き、国民の大多数が真相を知らされないまま、政府与党の都合で「知る権利」が踏みにじられた。意見の中には、「これまで、色んな情報が海外に垂れ流しで酷すぎた。だから、ここで流失を防ぐ良い機会だし、海外ではこの法律は普通にある」というものもある。
特秘法が重要対象としている情報は、外交・防衛に関することだ。しかし、では問いたいが、今さらこれを施行したところで、これまでの垂れ流しの原因や責任は誰が負うのか。他でもない。多年にわたり与党の座にあった自民党だろう。
施行後、外交・防衛に関する情報のうち、政府にとって具合の悪い内容があった場合、たとえばソーシュコク米軍による犯罪行為などは隠蔽される恐れもあり得るだろう。逆に、周辺国による侵犯行為は、やかましく宣伝し、またも排外意識を煽るかもしれない。日本が顔を向ける方向によって、いくらでも国民が騙され流されることになりはしないか。

それに関連してか、現在ワイドショーで選挙報道を流す番組がほぼなくなったという。視聴率の問題もあるのだろうが、結局自民にとって波風を立てずにおくことで、延命化を謀っているだけではないのか。それに連動して、新聞でも、投票日もまだというのに「与党圧勝」と大見出しだ。

どうやら我が国は、最悪の年末年始を迎えそうだ。国民がものを考えず、話もしなくなった結果、流されっぱなしで、何も言えなくなってきている社会が、こんなにも簡単に到来するとは、当の自民も考えていなかったことかもしれない。こんな下手くそな独裁でもやっていけることが証明されつつあるのだから。

今後、心ある国民が声を上げても、もう何も届かないかもしれない。選挙をしても無駄ということが証明されようとしているのだから。いずれ与党が国民から「忘れられる権利」を行使するかもしれない。そうすることで、彼らはさらに暴走できるのだから。


大東亜戦争の大詔奉戴から74年を迎えた。
平成26年も終えようとしている今日、あの戦争に思いを馳せている人間は、この社会にどれだけ残っているだろう。

そんな中、あの日の一億の感激を忘れず、かの戦争の意義と精神を継承しようという有志もわずかながら確かに存在する。昨日は、関東・関西でそれぞれ「大東亜戦争の意義を継承する反米青年集会」が敢行された。
寒空の中、少数ではあれ米国隷属体制にはっきり異を唱える有志の行進に、現代「センキョ民」の眼にはどのように映っただろうか。

ここで告白すると、私自身は戦争という選択肢が、外交の究極の手段と知っていても、反対だ。それに、あの戦争の全てが正しかったとも思っていない。きっと、70年以上前の国民も、少なからずそのように思っていたはずだ。しかし、敢えて以て戦わざるを得なかった。そこに日本民族の勇ましさだけでなく、哀しさを見る。
そして終戦から現代へ――。かの戦争では、物質的には確実に米英に「負けていた」。しかし、その精神は未だに畏怖の対象となっている。いわゆる国連体制が、日本を最大に恐れているのは、その経済力でも国力でもない。その精神文化に対してなのだ。
独自の進化と発展を遂げた形態を「ガラパゴス化」と表現される。日本は技術力を取ってみても、その典型だ。ただ、そのことを卑下する必要は全くない。私たちこそ、比類無き文化力を持ち、それでいて世界各国の文明とも共存できる唯一の民族であることを再認識しよう。

八紘一宇・五族協和・一視同仁・王道楽土の大目的は、今なお古びていない。
何故、我が国は米、英、蘭に宣戦布告をしたのであろうか?大東亜戦争の意義である「自存自衛の戦い」と「亜細亜植民地解放の戦い」を訴えたが、皮肉にも戦後GHQにより押し付けられた占領政策により言論は封殺され「真実の教育」と「正当な歴史」というものを教えられなかった。  
だからこそ聖戦の戦い、素晴らしき大義を掲げられた戦いである大東亜戦争の本質である「意義」を継承しなければならないのである!!
大東亜戦争敗戦間際、既におおかたの戦局は決していた。しかし、米国は戦争終結の戦勝国同士のの強奪戦に照準を定め、自国の力の誇示の為に、科学実験の如く広島、長崎へ原爆攻撃。非軍事戦闘員である一般市民を大量大虐殺したのだ!!

我々は平和を望む、今こそ人類最大の敵を撃て!!

【場所】
大阪市浪速区日本橋東3-2日東公園

【日時】
平成26年12月07日
集会12時~
デモ13時スタート

【主催】
12・7大東亜戦争の意義を継承せよ!!関西反米実行委員会
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