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与党が推し進める集団的自衛権行使容認の動きに対し、反対の声が広がっている。
昨日は、ついに焼身による抗議行動が行われた。左右どちらの立場にせよ、己が身をもって世間に訴えた彼の煩悶、行動のもつ重みだけは忘れてはならない。そして私たちも、彼の行動を持ち上げたり、利用したりするのではなく、たとえ彼と同じことは出来なくとも、そこまでして社会に訴えようとした人間がいたという事実は胸に刻んでおきたいものだ。

それにしても、民意とは何だろう。政治屋は自分たちが「民意で選ばれた」という理屈で政治を私しているが、そもそも私たち国民は選挙によって彼らに社会的な仕事を負託し、また監視する役目をも持っている。その彼らが政治をほしいままにするとき、私たち国民があらゆる手段で彼らに異論を突きつけなければならない。
今回焼身抗議した方の訴えも、一つの立派な「民意」である。政治屋連中は、ここまで体を張って仕事をしているのか、甚だ疑問である。官邸はこの民意、どうとらえているのだろうか。
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現在、民族派陣営有志が、自民党大阪府連前で毎週水曜日の正午から抗議活動を行っている。それというのも、いわゆる従軍慰安婦問題に関して、一旦「河野談話」を見直すと明言した安倍首相が、政権を担当するやいなや撤回したことによる。
私たちの陣営は、この無節操ぶりに対し自民党の姿勢を問いただしていく構えを見せている。何分、ビジネス街という立地上、昼休みに限っての抗議活動となっている。

しかし、自民党が戦後最大の売国・反日政党であることは言うまでもない。慰安婦問題を例に挙げるまでもなく、竹島然り、TPP然り、一時野党であったころの発言のほとんど全てが前言撤回という有様だ。節操も哲学もまるでなく、口を開けば失言や暴言だけ、ネウヨの書き込みを世論と勘違いするなど、ひたすら痛々しい醜態をさらし続けている。
また、国民が政治に愛想を尽かし、何をしても政治家だけが得をすることだけは、政治家自身が一番分かっている。自民は数の論理でまだまだ何でも押し通すだろう。こんなことが許されて良いわけがない。私たちの怒りはそれへも向けられている。

私たちは、たまたま慰安婦問題を取り上げているが、これに限らず、自民がいかに人間を、国家を、国体を踏みにじってきた集団か、を知らせる機会とも捉えている。自民の存在そのものが「社会の不条理」の象徴なのだから。
2014.06.23 沖縄慰霊日
昭和20年6月23日、沖縄に展開した23部隊ならびに数万の同胞玉砕に対し、心から哀悼の念を捧げます。
また、今月下旬から沖縄へご行幸になる今上陛下の道中のご無事をご祈念申し上げます。

2674年水無月23日
大東亜青年倶楽部
東京都議会で、女性都議の子育て支援に関する質問に対し、議場から聴くに堪えない野次が飛んだ。
どの政党のどの議員によるものかは現時点では不明としつつも、このような罵声を浴びせる政党は、大抵どこか皆分かっている。自民党以外考えられないところだろう。もっとも、あえて罵声を浴び、世論喚起に一役買ったともいえるこの女性議員もしたたかではあるが。

それにしても、平安期に権勢を極めた平氏一門よろしく、「自民にあらずんば人にあらず」と言わんばかりの傲慢さである。自民党なら何をしても罰せられず、仮に失態があっても「国民の支持によって我々は選ばれているのだ」と開き直るとち狂った選民感覚は、もうどうしようもない。
石原環境相の「結局は金目」発言といい、自民党がいかに国民を、否人間を馬鹿にしてきた集団か、を厳しく問わなければならない。
2014.06.13 自己マン
自己満足という言葉がある。しばしば、ネガティブな意味合いで使われる。「あいつの行動は他者の賛同も理解もなく、自分勝手に振る舞っているだけではないか。単なる自己満足の世界に終わっているではないか!」といった具合に…。
確かに、そこには自己肯定の権化となり、他者からどう見られているか、など度外視した者の姿がある、ように見える。

確かに、どんな行動でも、他人の助けや理解がなくては何事もなしえないのは自明だ。しかし、それらがついてくるようにするには、やはりその行動を自分自身楽しく、満足してこなせているか、がカギではなかろうか。
無目的で惰性で展望もなく、闇雲にやり続けていくだけでは、結果的に気が続かず、途中で折れてしまうのがオチだ。自分が楽しくなければ、他人にはなおさら伝わることはない。誰にも何にも言われなくても、コツコツのろのろ続けていく…。やがて、数は少なくても、それを「飽きもせんとようやってるわ」と思われるようになれば、御の字だ。自己満足が伝わる瞬間ではないか。
ある方にこんなことを言われたことがある。「10年で趣味、20年で先生、30年で人生の一部になるよ」と。好きなことを楽しみ続ける秘訣のように思う。

皆さんは、自分の人生、「自己満足」してますか…?
長崎県へ修学旅行に訪れていた神奈川県の公立中学校の生徒数名が、被爆者団体の方に対し、聞き捨てならない暴言を吐いた。また、熊本県では水俣病被害者団体の方の自宅に、嫌がらせの電話が繰り返されていたという。
九州で、2つの哀しい出来事が起こった。私たちは、これをどのように考えるべきだろうか。

長崎の件は、ネットの反応は早くも炎上気味であったが、中にこんな情報がある。「今回罵声を浴びせられた被爆者団体は反日左翼で、生徒たちのとった行動は正しい」というものである。
こんな馬鹿な話はないだろう。たとえ、イデオロギッシュな面があるにせよ、年長者に、まして被爆の事実を語り継いでいる方に対して言って良い言葉であるはずがない。それに、仮にその中学生がイデオロギッシュな判断のもとにこういう罵声を浴びせたとしたら、むしろ彼らの視野狭窄化したメンタルこそ問題ではないか。どこかの売国奴首相のようなメンタリティばかりの人間が増えていくのは、正に日本人らしからぬ風潮だ。

そして、水俣病団体への嫌がらせでは、恐らくこうしたことはこれまでも何度もあったことだろう。カネのためという側面もあるだろう。しかし、彼らは国策によって苦しみを蒙った被害者である。それに対しての補償は当然ではないのか。これは、被爆者についても同じことがいえる。しかし、その請求先は日本政府ではなく米国にほかならないが。

水俣にしても、長崎(そして広島・福島)にしても、個人ではどうにもならない圧倒的な力で人生を破壊されたことは共通している。綺麗事は承知の上だが、私たち国民にできることは、被害を受けた彼らの窮状を少しでも察し、それでも同じ日本人として国史を歩み続けることしかない。そして、困難を与えた主体に対しては、粘り強く補償と謝罪を要求することである。
この2件は、毎日数多く起きる事件の一齣として見過ごすべきではない。
桂宮宜仁親王殿下の薨去の報に接し、国民一同謹んで哀悼の意を表します。

2674年水無月10日 大東亜青年倶楽部
神奈川県厚木市で、誰にも看取られず、餓死してしまった子どもがいた。

育児放棄で逮捕された父親は、「怖くなって逃げた」と苦しい言い訳に終始し、児相もろくに相談も保護もできず、狭い部屋に一人残された子は、ただ天井をじっと見つめてこの世を去ってしまった。その残酷な最期を想像した時、涙を禁じ得ない。

今も昔も、ろくに育てもせず放置し、哀しい最期を迎える子は無数にいる。
また、モノも情報も溢れかえっているこの世の中、どのチャンネルが子どもにとって最善なのか、大人にも迷うことがあるかもしれない。しかし、言葉がおぼつかない子どもには、可能な限り大人がサポートしていくのは、子どもの将来を少しでも考えた時、大前提のことではないのか。そんな「常識」すらも通じなくなってきつつある現代に寒気を覚える。しかし、現政権にこうした問題は全く人ごとだろう。

こんな遣り場のない怒りを覚えるような報道は、もう目にしたくない。また、この子は、泉下では楽しく過ごして欲しいと願わずにいられない。そして私たちは、せめてものこの子の弔いの意味でも、我が子だけは絶対に守り抜くことを忘れてはならない。

さて、この父親は獄で何を思うのだろう。きっと心からの反省には時間を要すると思う。社会は彼に厳しい言葉を投げかけている。その意味を、狭い部屋でしかと考えるべきだ。

今日、街を歩いていると、こんな貼り紙を見つけた。
お手製ながら、これを書いた人は、確固たる信念があったのだろうと思う。
この貼り紙に、もはや異議を差し挟む余地はないことは明白だろう。
日本をアメリカさんに守ってもらっているから、多少の犯罪は目をつぶろうというような風潮に敢然と異議を唱える、この製作者に敬意を表したい。
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