上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ピント外ればかりが目立った日米首脳会談が、このほどようやく終了した。
すれ違いばかりの会話、目立った声明もなし、有事の際の集団的自衛権のみ米国の言いなり……歴代首相(大統領)でも、ここまで成果のない会談も珍しい。
もっとも、2人とも担がれているだけの存在であるから、せいぜい寿司屋で安い政談に花を咲かせるのが関の山ということはよく分かったが(笑)。

メディアの報道ぶり、特に朝日の報道は酷いものだった。オバマ来日中の『朝日新聞』「天声人語」(4月25日付)では、中曽根時代の日米関係と、現在との落差を比較したものだったが、そこで端的に語っていることは、「世界の宗主国、米国が「事を荒立てるな」と言っているのだから、小日本は何も主体的に動かず、ただ黙ってこれまで通りの体制に順応しておれば良い」というものだった。
現行体制にもっとも忠実なのは、マスメディアであることは周知の通りだ。どの新聞も、憲法や領土などをいくら熱心に報道しても、結局のところ米国が中心になって作り上げた現体制には刃向かわず、戦争で悪いことしかしなかった小日本の、懺悔としての報道に徹せよ、という姿勢が完成されてしまった現状を鑑みれば、「天声人語」の主張はやむを得ないことではあるだろう。
米国隷属化の追認としてしか機能しない日米会談と、それを礼賛する報道体制などに振り回されてはいけない。

そして、4月27日に迎えようとする主権回復の日である。一体、私たちの住まう日本の何が回復されているのだろうか?
スポンサーサイト
2014.04.21 日米怪談
4月23~24日にかけて、米国オバマ大統領が来日し、安倍首相と会談を行うという。
話題は、もっぱら合意形成のとれていないTPPに集中するだろうといわれているが、経済・外交において日本外しが顕著になっている今日、今さら私たちがこれまでのようにソーシュコク、米国様にヘイコラする理由はもうなくなったように思える。

米中が今後ますます緊密化し、しかもTPPでも日本側の色よい反応がないとあっては、米国にとって日本の経済的利用価値はもうなくなりつつあると見て良いだろう。
しかし、カネが期待できないとなれば、代わりに血を求めるという構図が見え隠れする。今、急速に前のめりになっている売国自民による似非改憲と、米国傭兵化たる集団的自衛権がそれだ。米国の描く国家観にまるまるはまり込み、それを「強い国だ」「美しい国だ」とうそぶいて、日本人として何の痛痒も感じない売国自民の正体ここに極まれり、である。

それにしても、何も考えない人間というのは、本当に恐ろしい。戦後から今に至るまで、結果的に考える機会を持たず、また声を上げてもかき消されてきた戦後社会のツケとして実現したのが、思考停止状態による米国傀儡の最大最悪のモデル国家としての「日本国」であるからだ。
今上陛下ご成婚55周年を迎えられるにあたり、国民一同、心より御奉祝申し上げます。

2674年卯月10日
大東亜青年倶楽部
『教育勅語』の原本が、約半世紀ぶりに発見されたという。52年前に東京国立博物館の展覧会に出品され、その後ずっと書庫に保管されていたものの、所在が不明になっていたという。
今日になり、ようやく原本の在処が判明したことは誠に喜ばしい。報道機関によりその評価や報道姿勢は様々だし、『教育勅語』の歴史的・思想的価値の是非もあるだろうが、近代日本の一次史料がしかるべき場所に保管されていたことについては、誰も異論を差し挟む余地はないだろう。

昨今、自民による売国似非改憲の風潮が現実味を帯びつつある中、『日本国憲法』の文庫版やブックレットが続々刊行されている。ここに来て憲法について考え、戦後の来し方を検証することには多少の意義はあるだろう。
国民一人一人が憲法について熟考し、その上でやはり現行憲法が良いという結論が出るなら、私はそれでも構わない。もちろん、私個人としては、米製直訳憲法に異を唱え続ける姿勢は崩さないだろうが、少なくとも、永田町の面々による薄っぺらい売国似非憲法を押しつけられるよりは、まだ現行のもと、日本人の手によって正しく書かれた憲法のあり方を目指した方がましである。

しかし、戦後を覆ってきたテーマについてのみ振り返るなら、戦前のテーマ、すなわち『教育勅語』と『明治憲法』、『国体の本義』の文庫版などもあって良いように思う。不思議なことに、古典で有名な岩波文庫にも、これらが収められたことはない。戦前と戦後を断絶した空間と考えるのはこのあたりで終わりとし、一貫した国史の史料として、これらが再び活字として世に読まれる事を望む。その上で、理想とする国柄を考えていきたい。

2014.04.04 新年度
平成26年度が始まった。
新天地で活躍される方、いつもと変わらぬ日常を過ごされる方、日と時間はどんな立場の人にも平等に与えられているが、どこにいようとも、その日その場でやらなければいけないことに、まずは力を傾けよう。
そして、自らが社会の中でどのように主体的に生きられるか、時間をかけて考えていこう。
大抵、三日坊主で終わってしまうが、いつも新年度を迎えるにあたって考えることである。

ともあれ、まずは置かれた場所で、しなやかに伸び続けたいものである。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。