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消費税が4月から8%に上がるのに伴い、いわゆる駆け込み需要が続いている。
そんな中、運送業界が悲鳴を上げている。年度末の荷受け、発送が追いつかずパンクしており、到着遅延が相次いでいるそうだ。
年度初めに消費税が上がるのだから、それまでに片付けておきたい発送物は色々あるだろうし、私たち消費者にとってみれば、3%の差は大きい。その気持ちはよく分かる。

それにつけても、ここでも残念に思うのが政府の想像力のなさである。こういう状況に陥ることはさすがに想定できていたはずだし、翌々年に10%に上がる際、また同じドタバタ劇が国中で起きるということではないか。まさか、駆け込み需要によって、景気が上向いているなどとうそぶくつもりはないだろうが、国民への苛斂誅求と国内経済の混乱をもたらしても平然としていられるのは傲慢以外の何物でもない。いつまで経っても卑屈で怠惰な政府ではないか。こういう存在のどこに、強さや美しさを求められるだろう。

いっそのこと、消費税の撤廃を表明した方が、施行後の需要は飛躍的に高まるのではないか(笑)。
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大阪市長選挙が終わった。結果はご覧の通りだが、白票が想像以上に多かったことも話題となっている。有権者いわく「抗議の意で白票とした」という理由が多かったようだ。

私たちは、議会制民主主義にはもともと批判的な立場をとっているし、また有志の多くは、選挙に際しては白紙投票を呼びかけ、選挙制度そのものへのNOを突きつけよう、と訴えている。
奇しくも、今回の選挙ではその訴えの一端が実証されたわけだが、白票のインパクトが伝わったと同時に、しかしそれでも市民268万人のうち30万票以上の有効投票数が認められたことは、まだまだ白紙投票の可能性が残されていることも分かった。
国民による、政治への白票というアノミーな状況を、これからは国政レベルにまで引き上げていく必要があるだろう。
知性の高い国民ならではのクーデターの狼煙が、遂に始まったと見るべきではないか。白票と、選挙無効裁判によって、この潮流を絶やしてはならない。

また、しかるべくして不戦敗となった既成政党には、この選挙について何らかのコメントをする資格はさらにないと断じて良いだろう。そして、次に白票を突きつけられるのは、大義なき政治を繰り返す彼らであることを自覚しなければならない。
佐村河内守氏の偽装作曲騒動といい、小保方晴子氏のSTAP細胞の剽窃論文といい、最近一体何が本当で、何が信ずるに足る情報なのか、分らなくなってきた。
結果的には、私たちは「だまされた」立場となるわけだが、問題が表面化するまで、やれ「苦悩の音楽家」だの「割烹着の似合うリケジョ」だのと散々に持ち上げ、もてはやしていたことへの反省はないのか(特に、小保方氏の騒動は、電通がプロデュースしていたという説があるが、この問題はひとまず置いておく)。
これらの騒動で感じたことだが、私たちはあまりにも虚脱感に覆われた存在でいすぎやしないか。
虚脱的で、厭世的で、毎日をルーチンで過ごす…。そこに、ある日突然ヒーローが現れ、何らかの希望や共感の持てる存在として私たちを満足感に浸す。
しかし、そこに世間のやっかみや揚げ足取りなどで、ヒーローを奈落の底にたたき落とす。
この構図、佐村河内や小保方に限らず、さらにいえば、猪瀬に橋下、民主党政権や安倍・小泉たちの登場劇とほとんど同じである。
全体で幸福感を感じたい、しかし、それを感じた後は、賞味期限切れの廃棄食品のように、社会から強制的に脱落させる。そして、新たな幸福感を味わうために次のターゲットを社会全体で探す。あえて言えば、まるで「一億総いじめ」「一億総躁鬱」ではないか。
理想とする自分を見つけ出し、また認証してもらいたいがために、次々と自己啓発本やノウハウ本に手を伸ばし、読んでは癒やされ、しかしいつまで経っても満足出来ない、自己肯定感の薄い人間社会そのものを見るようだ。
確かに、故意に騙すことは道義的に良くない。しかし、騙される私たちは、多分心のどこかで騙されたがっていたはずだ。
双方ともに、正しい情報は何か、そして、その情報から何を学ぶか、心眼を養う機会としたい。
2014.03.11 追悼 3・11
東日本大震災発生から3年。復興未だ道ならずとはいえ、日本民族の強靱な誇りと精神を、私たちは忘れません。
この大八洲に日本人が存在する限り、必ず東北は立ち上がり、皇土の復活されることを確信しております。

数多の同胞の御霊に合掌するとともに、私たちの足元をもう一度照らし出し、過去の足跡とこれからの歩みを考えたいものです。
本日は東京大空襲という名の、米軍による大虐殺から69回忌を迎える。
米軍による虐殺行為は、広島・長崎のみで完結するものではない。東京・大阪を含む大都市無差別空爆と、それに付随して起こった、今に続く皇土占領政策までの一連の行為が米国・米軍による我が国への犯罪行為であり、これに勝る平和・人道に対する罪はない。
我が国への大虐殺行為を眼前にし、その惨状を語れる人は日に日に少なくなっている。語り継ぐことにはある程度成功していても、その当時を体験した方の証言に勝る記録はない。

この日あった民族の悲劇を忘れてはならない。また、虐殺行為を行った米国・米軍には、謝罪と補償が実現されるまで粘り強く抗議を継続しなければならない。

ついでに、反米という立場は左翼的で異端であるなどというステレオタイプな見方も、私たち自身が改め、右翼・保守を考える際、反米に行き着くことは必然である、ということを厳しく自己批判せねばならない。
ある日、ネットニュースを色々と見ていたら、「SNSで嫌われるアラフォー世代」という見出しの記事があった。かいつまんで紹介するとこうだ。

twitterやfacebook、mixiなどのSNSで、いわゆるアラフォー世代の書き込みが、ネットネイティブである20代のユーザーからいやがられる傾向があるらしい。
たとえば、浮ついた政治批判や説教じみた書き込み、あらゆるところに「イイネ」をつけるなど、アラフォー世代の使い方は、若い世代にとっては過干渉に映るようだ。アラフォー世代は、もともと成人後にネットの恩恵を受けている世代であるから、ユーザーの距離感などが、ネットネイティブ世代のリテラシーとはかなり異なるのだろう。その端境となる世代が、アラフォーとのことだ。

もっとも、全てのアラフォーのユーザーがこういう傾向にあるとは断定しがたいし、10代・20代のユーザーにもあてはまる人もいるのだろう。
しかし、ネットは書き込みの匿名性が、大なり小なりユーザーに影響を与える。
顔の見えにくい環境での書き込み、特に政治・社会批判は安易な物言いになりがちだ。だからこそ、ネウヨのような勢力も誕生したのだろう。

アラフォーに限らず、そうした批判をネットで延々繰り返すネット住民には、「海に石を投げるような小さい書き込みで、満足か?」と問いたい。その上で、「床屋政談・居酒屋談義に過ぎない社会批判も結構だが、少しでも社会の変革を求めるなら、実際に路上で一言訴えてみないかい?場所はいくらでもあるよ!」と呼びかけたい。


以上、ブログでちっさい書き込みばかりしているネット住民からの提案でした(笑)。
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