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「新党今はひとり」の山本太郎参院議員は、秋の園遊会で今上陛下に手紙を渡したという。同日の記者会見では、「原発労働者などの現状を陛下に伝えたかった」と述べたそうだ。

色々と波紋を呼ぶ問題行動だと思う。不敬だ、逆賊だ、と非難も巻き起ころう。
また、一議員がどのような意見があろうと、政治に直接関わることの出来ない陛下に上訴するというのは、筋違いも甚だしい。
その上で、山本議員に問いたい。そこに覚悟はあったか、と。

かつて、田中正造という議員がいた。足尾銅山鉱毒事件の惨状を見かねて、明治天皇に上訴した人物である。この訴えによって状勢が好くなることはかなわなかったが、当時の国民は好意的に捉えていたという。何故か。田中氏は、死を覚悟した上での上訴に踏み切ったからだ。結局処分保留で釈放されたが、これも当時の国民世論や、あるいは陛下の思し召しがあったものかもしれない。また、田中氏の行動に「かくすれば かくなるものと しりながら やむにやまれぬ 大和魂」の情念が、当時の国民の琴線に触れさせたかもしれない。
いずれにしても、上訴は死を覚悟させるほどの行動であったことは疑いない。田中氏は、その後も死去の直前まで公害問題に取り組み、現在も地元では顕彰されている。決死の覚悟ゆえに名を遺した議員だろう。

山本氏に、再度問う。原発は、陛下も御心を痛めておられる問題かもしれない。しかし、今回のように、国会議員として直接的に訴えるならば、しかるべき覚悟が求められたのではなかったか。陛下にどのように訴えようと、その問題を処理するのは国会議員ではないか。まずは脱原発に賛同する議員間で意見を醸成し、訴えは議場で行うのが筋だろう。

個人的には、山本氏の心意は理解・賛成する。ただ、その方法にはやはり大いに問題があると思わざるを得ない。
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本日は、教育勅語御渙発123年目の記念日である。
戦後の教育基本法制定により、その存在は忘れられて久しいが、私たちの先輩達が明治憲法と2本の柱で近代を走ってきた歴史は、何人たりとも否定することはできないだろう。
今、教育勅語も少しずつだが見直されてきているという。現代の私たちが見ると、文体は確かに漢語が多く、難しいものかもしれない。しかし、昔の子どもたちは全文これを暗唱し、礼儀もしっかり身につけられていたという。私たちのこどものころでいえば、九九や古典の暗唱のような感覚だっただろうか。

日本国憲法が、自民による似非改憲の流れに対抗するかのように見直されるように、教育勅語や明治憲法も、現代語訳や絵入りの本を出し、もっと普及されてもよいはずである。それらを見れば、米帝翻訳憲法の焼き直しにしか過ぎない自民党似非改憲私案などよりも、もっと身近に「日本」を自覚するきっかけになるのではないか。

私個人は、教育勅語を今すぐに復活せよだの、性急に教育現場に変化を求める気はない。現に復古を唱える私たちの大半は、教育基本法の下で教育を受けてきている。その恩恵は十分に感謝しつつ、教育勅語の価値を理解した上で、まずは各家庭から語り伝えていくことが重要ではないか。そうして世代を通じてじっくり心に染み渡っていく感覚が、美しい日本語の代表格とされた勅語の精神をよく表しているように思う。
FREE Uyghur!!FREE TIBET!!

中共による不当な民族浄化、弾圧からの解放を!!
米国CIAによる生々しい諜報活動が、亡命しているスノーデン氏やその周辺より次々に明るみになっている。真に映画さながらの諜報活動が行われていたことに、驚きや非難の声があがっている。
実際、米国の世界への影響力が薄れつつある今、これまで鉄壁と言われていた諜報活動が、内部にいた人間によって明らかにされるあたりは、「世界の警察」の腐敗と凋落とを象徴している。

一連の暴露により、米国がいかに世界の国々に対して懐疑的で、全て把握していないと気が済まない、典型的な独裁国家であるかが明らかになったが、逆に諜報されていた国々がいかに脆い情報体勢であったかも露呈した。
これを機に情報能力の強化に取り組む国もあるのかもしれないが、次代こそ米国に振り回されない世界にならなければならない。いつまで経っても米国の顔色をうかがい、へつらい、あごで使われるような世界はまっぴらである。
少なくとも、米国の核の傘に依存しながら核不拡散条約に署名して平然としていられるような国際社会は、米国の衛星国家としての役割を自ら終えなければならない。
2013.10.20 奉祝 地久節
皇后陛下ご生誕を、国民一同心よりお祝い申し上げますとともに、益々のご健康をお祈り申し上げます。

2673年神無月19日

大東亜青年倶楽部一同

「地久節」(税所敦子:作詞、林広守:作曲)

あきのみやゐのおく深く
照る月かげは明けき
わが君が代にひときはの
ひかりをたふる鏡なり

その月かげのさしそめし
その日をいはふ地久節
千世よぶこゑは九重の
うちにも外にも響くなり

たかきいやしき少女子が
まことの道にすゝむべき
うちにも外にも響くなり
学のわざのあきらかに
なれるも君がみかげなり
滅亡寸前の社民党の党首選がにわかに注目を集めている。
豊島区議の石川大我議員と、吉田忠智党政審会長の2人が立候補し、今週末に投開票が行われるという。
党組織事態滅亡寸前で、かつ17年ぶりに「民主的」な方法により党首を選ぶというのも何とも滑稽な話だが、2人の候補者も視点にはさほど大きな違いもなく、不完全燃焼にも終わりかねない。

冒頭に、にわかに注目を集めているといったのは、石川氏の立場に対してである。彼はゲイを公表しており、政治信条にも性的少数者の開放を掲げている。多様性あってこその人間社会、その存在と可能性は社民党再生のカギとなるだろう。
しかも確信犯的護憲ではなく、同性婚承認や環境権などは積極的に盛り込むべきだとし、護憲一色で現実社会には何の影響も示せなかった社民では異色の存在でもある。そこで、石川氏に提案したい。

かつて、東郷健という伝説的運動家がいた。雑民党党首として、政見放送や日頃の活動でもぶっ飛んだ発言が話題となったが、「社会的少数者を大事にせよ」という信念は多くの人の心を打った。石川氏には新雑民党を立ち上げ、今こそ東郷氏の遺志を引き継いでほしい。
社民主義はその時代的役割を終えて久しく、次の社民党の党首選が行われるかどうかも怪しい。ならば、いっそのこと新雑民党として、真の人間解放に努めるべきではないか。彼の今後の活躍に期待する。

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2013.10.04 実践社会学
立教大学社会学部のE教授が、覚醒剤取締法違反で逮捕されたらしい。E教授は容疑を認めており、約2年前に入手した時から使用を続けていたという。
東京六大学の教授クラスにまでシャブが浸透していたのも驚きだが、この報道を見て、ちょっと別のことを想像してみた。

というのは、この先生がシャブをどこで入手したのか。恐らく首都圏のどこかなのだろうが、鍵となるのは彼の専門分野である。彼は社会学や都市文化を専門にしていたようで、それなりに業績も重ねている。シャブを手に入れるきっかけになったのは、恐らく都市へのフィールドワークを行っていた時ではなかったか。
都市といっても、その範囲は大きい。大通りから薄暗い路地まで、そこに住まう人々の息づかいを網羅的に研究するのが都市社会学であるならば、当然都市の悪所をも、調査の対象とすることはあり得るだろう。きっと彼は、そうした悪所での調査を重ねていくうち、シャブが手に入る経路を知ってしまったということは言えないだろうか。
そして、みるみるうちに、研究よりもシャブにはまっていってしまった…。

ともあれ、薬物中毒者の更正は非常に厳しい。罪に問われてしまった以上、しっかり刑に服し薬物とは縁を切ってほしい。
しかし、むしろこの先生は幸運かもしれない。服役経験のある学者などそうそういない。塀の中でさらなるフィールドワークを重ね、刑務所の社会学を唱えてほしい。一時の快楽のもたらした代償は大きいかもしれないが、都市社会研究においてこれ以上のサンプルもないだろうから。

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2013.10.02 増税の是非
消費税が遂に5%から8%へと引き上げられることになった。いよいよ亡国内閣の本性が現れてきた。
世間では景気回復の実感もまるで感じられず、福一の処理もほったらかしのまま、そしてその中での東京五輪開催決定と今回の消費税引き上げ、方や復興法人税の引き下げである。
これが、アベノミクスがいつまでも続き、今こそ日本買いだといえる状況なのだろうか。その無責任な発言を繰り返す政府・マスコミの神経を疑っている人々は少なくないだろう。

今、日本で起こっているほとんどのことが、国家や国民が幸せに暮らしていけそうな、微かな希望でさえもかき消そうとしているように見える。
そもそも、消費税導入のきっかけには、福祉の拡充があったのではなかったか。肝心要の福祉施策は、年々ほころびだらけのものになり、本来福祉を下支えするべき労働者へのペイも先細りするばかりである。これまで3%、5%と誅求されてきた消費税は、どこへ消えたのだろうか。

内閣は、増税に伴う不況対策として5兆円規模の財政を行うともいう。しかし、この後予想されるTPPの導入は、誰も指摘しない。外国資本による日本経済奴隷化が、消費増税とTPPによって永続的になる可能性が出てきた。

折しも伊勢神宮では御遷宮が行われているが、これには神の再生の意味が込められている。しかし、それは神の御業であるからこそ美しい。政治屋どもの唱える再生だの復活だのに、これまで成功が伴った試しはない。だからといって、私たちは幼稚な破壊願望を声高に唱えるものではない。
私たちが、今正にしなければならないこと、それはいたずらなる破壊でも攻撃でもなく、状況への異議申し立てである。政治・社会への無責任と無関心のツケは、必ず私たち自身の生活に跳ね返る。第二、第三のカルタゴやギリシャになってはならない。

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