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今日は反中共デーと銘打ち、全国各地の有志により、中国共産党政権の粉砕、人民解放ならびに真の日支友好を実現すべく、集会・行進を行った。

当部も最初のみ参加し、途中から別所にて行っていた同志演説会へ赴き、色々刺激を受けた。

同志同憂の皆さま、暑い中お疲れ様でした。
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千葉県茂原市で、7月から行方不明になっていた女子高生が、無事地元の神社で保護されたそうだ。けがもなくご家族、同級生の方々は本当に安堵したことだろう。2ヶ月半の足取りも、あえてあら探しせず、そっとしておいた方が良いだろう。

しかし、昨日のこの報道に接し、日本での行方不明者について気になり、色々と調べてみた(仕事中なのに…汗)。
不気味な、謎に満ちた事件ばかりが目立つが、いわゆる行方不明のほとんどは自発的な失踪であり、警察や探偵の捜索で大抵は発見、家族と再会を果たすようである。
失踪の理由は様々あろうが、大体人間くさい理由によることは想像がつく。
しかし、未成年者の失踪で、なおかつ長期にわたる所在不明となれば、事情は自ずと変ってくる。検証サイトも多くあり、どの事件も怪奇極まるものばかりだが、いつ帰ってくるか分からないご家族の心境を思えばやりきれない。
まして30年以上もその帰りを待ち続ける拉致被害者のご家族は、今回の発見をご覧になって、どのような感情を抱いたことだろうか。ただいままで元気に暮らしていた人間の行方が、ある日突然分からなくなるなどという社会の不条理は、いつになれば解決するのだろうか。
今般の堺市長選挙で、大阪維新の会の西林候補と前職の竹原候補とが激しい戦いを展開しているらしい。
紙上調査によれば、前職がややリードとのことだが、その実どっちもどっちの政策ばかりでさしたる魅力も感じない選挙である。
しかし、維新の会候補がやや劣勢なのを察してか、橋下代表は「争点が的外れになった」と弱気になっているという。争点とは、言うまでもなく大阪都構想のことであろう。
「都」の意味も理解せずに曖昧なビジョンしか示すことが出来ない維新の会陣営と、都構想に反対し既得権益に固執する前職陣営。改革派保守派の戦いというカラーを打ち出しながらも、本質的には「保守」の語り方の違いだけでしか争っていない、実にさもしい選挙となりそうだ。

さて、橋下氏は国政選挙で敗れ、今回の堺市長選でも敗れたとしたら、維新の会そのものをも解散し、新たな政党作りに励むことになるのかもしれない。この予想される行動から思い浮かべるのは誰か。ほかでもない、小沢一郎氏である。
小沢氏も、「自民党の改革派」として辣腕を振るいながら、結局は党を割り、改革の旗印を生かしながら数々の政党作りに没頭した。そして、何も残さないままに没落した。橋下氏も、ゆくゆくは彼と同じような存在になってゆくのではないか。つまり、小沢・橋下両氏ともに、一方ではいやと言うほど世間から嫌われ、しかし一方では首相待望論の重要な役としていつまでも「悲劇のヒーロー」として語られていくだろう。そして両者に共通しているのは、維新も改革も政党作りの飯の種でしかなく、しかしそこにこそしたたかな政治屋根性が見え隠れする、人間臭い俗物の姿である。

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2013.09.19 今夜は…
今夜は中秋の名月。しかも満月での名月だ。この条件で次に見られるのは8年後のようである。
私たちは、太陽と月に特別な信仰を抱いて暮らしてきた。日月への信仰を土台に生まれてきた文芸も数多い。
月も太陽も、いずれも虚空に浮かんで現れる。人はそこに神秘を感じ、また畏怖した。日月を見上げることで、異世界へ誘われるような不思議な感覚を覚えた人も少なくないだろう。

現代人は今、地上から目を離し、遙か彼方の天体に思いを馳せたり、虚空を見上げる時間をどれほど持てているだろうか。空を見上げたからといって、何も人生の展望が劇的に開けるわけでもなければ、特段良いことが待っているわけでもない。
しかし思う。そういうひととき、ぼうっと、何も考えずに空を見上げることもなかなか良いもんだと、ふと気づくことが大切なのではないかと。長い人生、そんな時間に耽ることがあっても良いじゃないか、と。

たまには携帯やスマホをしまい、空を見上げてみよう。
[9・29反中共デー関西大会御案内]

[日 時] 平成25年9月29日(日曜日)
午後1時開催

[場所]靱公園東園

[服装]自由

[主催]9・29反中共デー関西大会共闘委員会


正に時代は反中共、反米の潮流にあり!!

日本の真の独立不羈を勝ち取り、皇土を護るために、今こそ八紘一宇を宣布しよう!!
平成32年開催予定のオリンピックの開催都市が、東京に決定した。早くも日本中が歓喜に沸き立っているといわんばかりの報道ぶりである。

もう決まったことに対しては、四の五のいうつもりはない。開催が決定した以上は、無事成功を願うしかない。ただ、オリンピックを日本で開催することに関して、あまりにも心配の種が尽きないことだけは確かである。
いくつかその心配事を列挙していこう。

まず第一に、7年後の開催まで、福一の問題が解決出来るのか。未だに政府・東電に解決する気概も道筋も見いだせない現状で、福一ならびに放射線汚染水の責任を誰が取るのか。
皇土は、何も日本列島や島嶼群のみのことを指すのではない。海も空も、日本を囲む全ての空間が皇土である。それを汚し、永遠に還れない「故郷」とした政府・東電・国民の真の反省なくして東北の復興などありえないし、外国人に雄大な、清潔な日本を知らしむべき機会をもみすみす失っているようにも見える。

第二に、昭和の東京五輪は、今なおその感動が伝わる素晴らしい祭典であった。その夢をもう一度、という感覚なのだろうが、かつての五輪は高度経済成長期でもあり、五輪を機に戦後インフラが急速に整うことになった。
ところが、21世紀に入り、インフラも飽和状態にある中で、またぞろ再開発、箱物を建てまくり、時期が終わればほったらかし…この悪循環を21世紀になってなお繰り返す日本社会の学習力の無さに呆れるばかりである。いかにも刹那的、退廃的な景気回復策ではないか。

第三に、日本国民の民度の劣化が指摘されて久しい。ヘイスピや民族差別は、きっと7年後もあまり変わることはないだろう。
五輪は、「民族の祭典」である。真にそのように呼び、またその精神のもと外国人を迎え入れられる資質が、日本にはまだ残っているのだろうか。
実は、五輪の精神を最も発揮できるのは日本である。ところが、白人帝国主義の欲求充足により、五輪における民族差別問題は今も根強く残っている。現代日本が彼らと同じ思考形態に陥りがちな現状で、「民族の祭典」を名乗ろうとするには、日本人の民族意識の涵養あってこそである。私たちが真に日本人たるべきことを自覚できているかどうか。五輪開催の意味を、私たち自身で反芻すべきである。

恐らく、東京、日本での開催はこれで最後になるかもしれない。低成長が叫ばれて久しく、東京一極集中型の社会構造が崩壊しつつある中、7年後の東京五輪は文字通り
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『鎮魂 さらば、愛しの山口組』(盛力健児著、宝島社、1,500円、平成25年8月、http://www.amazon.co.jp/%E9%8E%AE%E9%AD%82/dp/4796699147)

やくざ関係の書籍は、これまで山のように刊行されているが、先月末に刊行されたこの書は、一種独特の雰囲気を放っている。
このところ、世間に名の知られた親分級の人物による自伝が相次いで刊行されている。記憶に新しいところでは、後藤忠政氏による自伝『憚りながら』(http://www.amazon.co.jp/%E6%86%9A%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89-%E5%AE%9D%E5%B3%B6%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%BE%8C%E8%97%A4-%E5%BF%A0%E6%94%BF/dp/4796681345)がやくざファンのみならず、マスコミも賑わせた。

今回発行の本書では、大阪戦争・山一抗争・中野会事件・六代目誕生劇・直参大量処分劇を軸に、山口組の激動期を間近で見てきた人物ならではのモノローグである。既に、ネット上では賛否両論の声が上がっているが、巨大組織をめぐる状況を冷静に見つめ、淡々と語られていくある種の「凄み」は、紙面から目を逸らさせないことに成功している。
ちなみにやくざ記事には、いわゆる提灯記事(つまり本人に不都合なことは書かない)が多い。しかし、本書は組織の中枢に居た人物による内幕がほぼ遠慮なく語られていて、また語られる一つ一つの事件にも細かい注釈がついており、やくざ事情に明るくない読者にも理解しやすい工夫が施されている。

巨大やくざ組織の内側から見つめた者の声は、実はそのまま現代堅気社会の病理を投影している。組織論や人間観を磨くのにも有益な内容である。そして注目すべきは、やくざ本人による組織の実態が、今後ますます明らかにされていく可能性があることだ。やくざネタというタブーは、やくざ本人の手によって、少しずつそのベールを脱いでいっているのかもしれない。
安倍首相は、オバマ大統領と対シリア問題について電話協議したという。協議も何も似非日本のこと、米国の決定に従うしか能がないのに、今さら何を話し合うというのだろうか。

米国は、この問題で国際的に孤立を深めつつある。ノーベル平和賞受賞者でもあるオバマ氏は、対シリア攻撃で引くに引けない格好となった。ここに至って攻撃しないとなれば、米国内世論は当然黙っていない。進退問題にもなるだろうし、仮に攻撃に踏み切れば、国際的な非難は必至だ。

米国の思惑や傲慢ぶりは、世界中からあきれられて久しい。最終的に攻撃のサインは出すのだろうが、事態がそこに進んだ時、米国の終幕へのカウントダウンも始まるということだ。
そして最大の問題は、そのような泥船に一緒に沈もうとしている日本である。もっとも、戦後体制に塗り固められた似非国家であれば、米国もろとも一度沈みきり、輝かしい姿で浮上するのを待つた方が良いのかもしれない。
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