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国連科学委員会が、福島第一原発の放射線量について、「チェルノブイリ事故の1/30の規模」と結論づけた報告書を発表した。
それによると、日本国民全体の被曝量は、甲状腺がチェルノブイリの1/30、全身は1/10と推計した模様だ。健康への影響も「チェルノブイリよりも遙かに少なく」、プルトニウム汚染なども非常に少ないレベルだと結論づけた。

しかし、果たして本当にそういえるのか。20世紀最悪の原発事故であるチェルノブイリよりもその被害が少なかったからといって、福一の事故が許されて良いはずはないし、現に報道されていないだけで、動植物の遺伝子に影響が出ているとの情報もある。日本政府は、結果的に震災と事故の反省もないまま、原発維持・推進の路線を取った。今回の調査報告は、国連という「国際的な」お墨付きを得たいがための公表のように感じる。実際、東海村での放射線漏れ事故では、新たに24人の被曝が確認されたではないか。
影響の大小ではなく、こういう事故を容認しながら原発を尚止めようとしない政財界の体質こそ問題にされなければならない。代替エネルギーも幾つも利用法が議論されているのに、何故舵を切ろうとしないのか。

そして、日本での原発事故は、ソ連や米国の事故とは本質的に問題が異なっている。日本の国土は、即ち皇土である。この概念は、両大国にはない。
皇土の汚染とはつまり、今上陛下の御幸を仰ぐことが出来ないということである。これをどのように考えるか。
国民は、それぞれ生まれ育った土地に愛着を持ち、それを愛郷心と呼んできた。そうした、誰もが持っている自然な感情が、天災・人災により傷つけられ、失われてしまった時、そのケアを一体誰が担えるのか。
不敬を承知でいえば、それは政府でも財界でも宗教でもない。私たちの精神的拠り所としての「天皇」であり、「日本」しか存在しないのではないか。
事実、今上陛下の被災者へのお言葉に、日本国民等しく涙を禁じ得なかった。何故そこで涙を流したか。日本的共同体の唯一の拠り所だったからであろう。しかし、今やその陛下の行幸も仰げない。

さて、そうした土地にしてしまったのは誰か。私たち国民とも言えるし、「戦後」という空間全体かもしれない。いずれにしても、今回の過小評価した報告でもって、福一の問題が見過ごされたり、政府・国民全体がさらに忘却しないように強く望む。
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韓国『中央日報』5/23日付に、「米国による広島・長崎への原爆投下は、神の懲罰」とする内容の記事が掲載されたそうだ。韓国の政府筋は、「あくまで中央日報の表現であり、韓国人全員の意思というわけではない」と苦しい釈明に終始した。

ショックや怒りを通り越して、ただただ哀しい。やはり、低俗な国民意識の表れなのだろうか。ともかく主要紙が平気で、米国による最大の戦争犯罪を、あたかもそれが必要であったかのように言ってのけるのは穏やかではない。
しかし、ここで韓国に露骨に怒り、罵倒するのもどうやらお門違いのようである。理由は以下に明らかにする。

ところで現在、我が国では嫌韓や反韓が一つのムーブメントとなっている。韓国的・朝鮮的なるものに対して口の限りに罵倒し、逮捕者も続出している。また、嫌韓に反対する人々も登場し、双方が中傷合戦に陥っている。動画などを見る限り、どちらも大衆のガス抜き装置としてしか機能していず、その主張も行動原理も、最終目的が不明のまま、その日その日の「イベント」消化に追われているのが実情だろう。

露骨な主張には、必ず手痛いしっぺ返しが来る。口をついて出た言葉には、発した以上そこに遂行する責任が伴う。現在の永田町の面々が、放言だらけで何の責任も取らない状況は、今の日本国民の姿と合わせ鏡である。政治家の不作為は、国民の生活行動にも必ずどこかで反映されている。嫌韓ブームも、決してその例外ではない。

それにしても、安倍内閣登場後、国内外でろくなことが起こっていない。北朝鮮ミサイル、拉致問題の遅滞、歴史認識、はりぼての「主権回復」、亡国TPP、似非改憲論議…。そこにきて、韓国による「原爆正当化」記事である。
そして、これらの問題の背後に何者が控えているか。言うまでもなく戦争屋国家米国である。亜細亜動乱を招こうとしている黒幕の思惑を見抜かなければならない。近くのいざこざの中に隠れている本質に気づかなければならない。
米空軍の地球規模攻撃司令部は5月21日夜~22日未明の間に、カリフォルニア州のバンデンバーグ空軍基地から大陸間弾道ミサイル(ICBM)「ミニットマン3」1発を試射すると正式に発表した模様だ。
ミサイルの性能確認と改修のためのデータ収集が目的とのことだそうだが、明らかな北朝鮮への牽制であるとともに、東亜世界への実験としても活用していくだろう。この米国の実験の意図がどこにあるのか、注視しなければならない。

それにしても、いかにも自称世界警察、国際指定暴力団米国のやりそうなことである。北朝鮮をはじめ、他の国々のミサイル発射(たとえそれが訓練の範囲であっても)には、国連まで持ち出して暴言の限りを尽くしながら、米国本位の「実験」には、誰にも批判の一つさえも口に出させることがない。
「俺は何をやってもいいけど、お前等は俺の許しなく勝手なことをやったらあかん」なんて、どの社会にいても嫌われるだけだ。これを地で行くのが米国だ。国際金融資本及び戦争屋のはびこる米国政治がこれだけ迷惑の種をまき散らしているのに、これに媚び諂うどこかの極楽島…今回のポンコツミサイルにも憧れを抱いていることだろう。アメリカンドリーム万歳!

しかし、心ある国民は違う。世界の笑いもの、史上最低の恥知らず国家、米国のやり口に対し、日本を中心とする東亜世界は敢然蜂起しなければならない。対米戦線再構築はまだ夢ではない。
橋下徹市長の「慰安婦」発言を受けて、世論が沸騰している。
ここへきて、橋下・維新の会下ろしが本格化してきたと見るべきだろう。今夏の参院選で惨敗する可能性も出て来た。橋下氏も調子に乗りすぎたようである。
そこへきて、同じ価値観を共有しているはずの自民党はパッタリ登場しなくなり、米国まで抗議に乗り出す始末。橋下・維新の会は完全に梯子を外されたし、これで自民による亡国化がまた一歩進むこととなった。

慰安婦に関して、その存在の肯定・否定派も、軍隊は本質的に民主的な存在ではなく、死と隣り合わせにある兵士の精神状態の慰安、その最も手っ取り早い方法は性的処理にあることを知っている。これまでの人々は、この本質を知っていて敢えて公に話してこなかった。

人間社会は本音と建前のみで出来ている。橋下氏は本音を言ったまでなのかもしれないが、その本音は戦後日本社会にはもはや受け止めるキャパが無くなっていた。現代日本のどの世界にあっても、綺麗事でしか物事を見られず、話も出来ない状況にあっては、いくら正論や本音を言ってみたところで、社会の爪弾きに遭うのが常道となっている。
橋下氏の発言は両手を挙げて賛同はしないが、軍隊・人間の本質を衝いてはいた。
ただ、これに躍起になって非難、或いは支持する世論にも居心地が悪い。日本政治に出てくる歴史認識問題が、本当に我が国の国史のあり方を問うたものではなく、そのほとんどが選挙向け・米国向け・中国朝鮮向けのリップサービスに終始しているからだ。
浅薄な認識で国史を語るなど、本当に不愉快である。彼らには、それこそ「ちゃんとした政治をしろ」と、ただそれだけを求めたい。
2013.05.15 追憶 5・15
「昭和維新行進曲陸軍の歌」

一、若き陸生殉国の 時勢に勇む大和魂 昭和維新のその為に 起った決意の五・一五

二、ドンと一発革新の 狼煙挙がる鬨の声 覚ませ悪夢を開け眼を 寄せる黒潮何と見る

三、国の為なら身命も 捧げて何の悔いがあろう 永き平和を神かけて 警鐘叩く五・一五

四、どうせ散るなら潔く 桜と咲いて君の為 陸の勇士が国難に 花を飾った五・一五


この歌は長らく作詞も作曲も不明とされてきたが、近年作詞が畑中正澄氏、作曲が坂東政一氏という人物たちによる歌であることが分かった。吹き込みは、「轟沈」で有名な楠木繁夫氏である。

5.15を受けての歌だと思うが、現代まで音源も詩も、その心も、僅かかもしれないが継承されている。「うたごころ」の強靱な生命力を感じる。5.15と聞けば、「青年日本の歌」を思い浮かべる方が多いと思うが、この歌も秀逸な歌詞と旋律を持っている。
事件の是非は言わない。今はただ、双方の御霊に合掌するのみである。
最近、自民党や日本維新の会の面々による、近代の歴史認識に関する発言が波紋を広げている。馬鹿もいい加減にしてもらいたいものだ。
曰く、慰安婦問題は無かっただとか、侵略の定義はまちまちだとか、一見真っ当なことを言っているように聞こえるが、彼らの発言にはいくつか大きな落とし穴があることを誰も指摘しない。

それは、国内でも一部にしか支持されない発言だけをもって、あたかも世論を代表していると錯覚していること。
これらの勇ましい発言が、次期参院選を見据えた、ホシュ層へのリップサービスだということ。
そして、戦後の総括もしていない中で、近代の認識について発信するという矛盾。
彼らは、恐らく真っ当な意見を陳述し、世論受けしていると思いこんでいるのだろう。当然外国の反応は惨憺たるものだ。むしろ、困惑の極みにあるというところだろう。
日本人は、本来内と外の使い分けに非常に繊細であったはずだ。いつから、こんなに恥も外聞もない発言で、外国の信用までみすみす損うことをしでかすようになったのか。
当部及び筆者も、彼らの発言の全てが間違いだと非難するつもりはない。ある程度は正論を述べていることも知っている。ただし、その発言の一々は、いずれも戦後と近代を総括・克服しなければ発言する資格がないものばかりではないか。
しかも彼らは一応政治家だ。政治家の発言は、私たちのような一般の者の発言とは、影響力にも雲泥の差がある。
戦後に乗っかり、ルティーンワークのように選挙をし、米国にも憲法にも正面切って勝負も出来ない彼らに、いくら正論とはいえこのような発言をしたところで、ヘタレの理屈こきにしか聞こえないのは、恐らく私だけではあるまい。

国民総背番号制度、通称「マイナンバー法案」が、与党多数で賛成、成立した。情報統制国家、警察国家化がますます進むことになるだろう。これに調子づいて、改憲の流れも一気に押し切られるかもしれない。
とんでもない無法国家である。情報関連銘柄も手ぐすねひいて私たちの情報を手中に収めたいのだろう。現にそれらの銘柄が早くも値上がりしているという。少数者の欲望のために国民の財産が一元管理される…社会主義と何ら変わらない、正に自民党独裁政権の面目躍如である。
ホシュどもには、現政権が国民をしっかり守ってくれるとまだ幻想しているようだ。

しかし、自民党(あるいは戦後政治)は、国民をまともに守ってきた試しがない。拉致問題も未解決、年間三万人に上る自殺者、TPP以前からやっている減反政策による農の崩壊など、いかに彼等が国民を愚弄し、自らの椅子だけのために私たちを騙してきたか、これだけを見ても明らかであろう。

マイナンバー法案には、個人情報の保護・権力による管理のほか、政府のもくろみがどこにあるのかを今一度確認する必要がある。アジアの中で、国民背番号制度を設けている国は、韓国とシンガポールのみである。そして、今回日本で法案が可決された。この三国は米国の衛星国家である。本法案成立が何を意味しているのか、私たちはよくよく点検・批判しなければならない。ちなみに米国では、自由主義を謳いながら、国民総背番号制度を設けたのは何と昭和11(1936)年である。国民がどこで何をしているのか、がモロバレの最悪の密告社会である。

今後恐らく予想されるのは、国民情報管理のために市場が介入し、しかもその多くは外資であろう。外資によって私たちの財産が筒抜けとなり、金も情報も引っ張り放題になる可能性がある。自分の財産はなるべく自分で守りたい。

いずれにしても、自民党政権は今も昔も国家・国民のことなど何一つ考えていない、張りぼての亡国政党である。

心ある国民は、国民総背番号制度に断乎反対しなければならない。
新カテゴリ「本棚」の初めての紹介である。記事タイトルも、「我らの一冊」としてシリーズ化したので、ご覧頂ければ幸いである。もちろん、紹介は広報担当の独断と偏見だ(笑)。


『ハイリスク・ノーリターン』
(山口祐二郎著、第三書館、本体1,200円)
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3-%E5%B1%B1%E5%8F%A3-%E7%A5%90%E4%BA%8C%E9%83%8E/dp/4807413139/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1367918210&sr=1-1

元統一戦線義勇軍に所属し、火炎瓶投擲や脱原発行動、また東電前ハンストなど、大胆な行動で運動界隈を賑わせてきた異色の活動家による半生記である。
周りの人を魅了し、惹きつける力とは、生まれながらに備わっているものなのだろうか。彼の行動の一つ一つが、穏やかに、時に激しく周囲を巻き込んでいく様子は、読む者を飽きさせない。
また、著者は「優しい人物」でもあるのだろう。優しさ故の不器用ぶりが全編に鏤められている。
現代は生きづらいとよく言われる。ただ、生きづらいからといって、全員が破天荒な振る舞いが出来るかどうか。答えは否である。皆、生きづらさを自覚しながら、どこかで現実と妥協し、屈服し、社会と折り合いをつけていく。ところが、著者はそこに必至にもがき、抵抗する。その反発には、社会への憎悪や嫌悪感もあろうが、その荒々しい振る舞いの根底にある心性は、相手を叩きのめし、屈服させるためのものではなく、精一杯反発しつつも相手への「許し」がある。その許しや優しさが、読後に爽やかな感情を抱かせる。
思想に生き、志操に殉ずる者の抱くべき「許し」や「優しさ」とは何か、を若い著者から教えられることの多い一冊だ。
2013.05.03 万歳と憲法
過日強行された「主権回復の日記念式典」に於いて、安倍首相が「天皇陛下万歳」と三唱したそうだ。
日本を取り巻く諸外国は、脊髄反射的に「軍国主義的だ」と反発している。反発というより、困惑といった方が良いだろう。今ここに来て、安倍氏の本音が第一次内閣の時より積極的に出て来ているからだろう。日本のホシュどもは、またもや小躍りだ。

この際はっきり言っておくと、安倍内閣は君側の奸である。今上陛下が政治的発言を制限されていることにつけこみ、自党の政治的要求を強制したのである。第一、この式典に陛下のお言葉はなく、万歳三唱も突然行なわれたという。誠に恐れながら、陛下の御心情を察するに余りある。

諸外国は、これを機に安倍内閣批判を強めて欲しい。彼等の行為に「保守性」なぞは見当たらず、そこにはひたすらなる「強くて美しいニッポン」への虚像のみが一人歩きしているだけだからである。しかも、米国から体制が担保されていることを絶対的な前提としている。
私たちに言わせれば、それは日本的なるものの否定である。強者に阿った形でしか自国の誇りも取り戻せないなど、正に虎の威を借る敗北的精神の表れでしかなく、それに基づいた改憲など、ますます米国の隷属化を進めるものになる。安倍氏の万歳は、米国に向けられたパフォーマンスなのだ。

本日はいわゆる「憲法記念日」である。私たちの立場は「改憲」ではなく「廃憲」である。つまり、戦後憲法の上書きとしての改憲ではなく、戦後憲法そのものの廃棄(廃憲後は明治憲法復原となるのだろうが、本来は不文憲法が望ましい)が信条である。既成政党の憲法論議は、いずれも上書き論に立っている。つまり戦後を是認する形でしか改革も議論も出来ないという立場である。
そして、改憲の手続きをスムーズに出来るよう、まず96条改正に着手するなど、あまりにも姑息すぎないか。正道での改憲では反対論が多いことが分かっているために、改正要件を緩和して自民が政権に着いているうちにヘタレホシュどもで「憲法@made in USA」を強化してしまう算段だろう。
ヘタレ根性もここに極まれり、である。

ヘタレによるヘタレのためのヘタレ憲法を一日も早く葬り去ろう!
本日はメイ・デイ。

晴天の中、大勢の人が現在の労働状況に対する不安と改善を求め、デモ行進をしていた。
労働貴族化し、労働者を結果的に食い物にしてきた労組や周縁の活動家の主張に、全面的に賛成するつもりはないし、またデモで声を枯らしたところで、状況が劇的に変わるとは思えない(私たちの陣営のデモも同じことが言えるが…)。
そのような中にあっても、主張だけは続けていく。どこかで声を聞き、賛同してくれる人がいるであろうことを信じて。遠巻きに眺めつつ、そんな印象を抱いた。

それはさておき、労働問題は日に日に厳しさを増している。ワープアも一個の「身分」として固定化され、現にそうした境遇の人々が労働人口で一定層占めつつあることは、決して私たちも笑えない問題だ。否、むしろ今後私たちの陣営こそこれらの問題に取り組まなければいけない。国家を構成するのは国民であり、国民が豊かでなければ、国力も経済も「強盛国家」になりえないだろう。
アベノミクスブームも、いつまでも続くはずがないし(実際、好況といっても、その影響は極めて限定的だった)、その裏で消費増税は機械的に施行される。増税負担は、どの国民も等しく被るものだ。バブルにあったような、一時的な浮かれ景気は、やがて必ず破綻し莫大なツケが来る。これを学習も応用もせず、近代経済の綻びを総括もしない。しかも与党は自民党。これでは、破綻した時、また「失われた10年」、いやそれどころか20年も30年も失われることになるかもしれない。表面的に好況と言われている時こそ、それが立ちゆかなくなったときの対処が講じられなければいけない。

労働者が皆そこに気づき、目覚めた時、経済は文字通り「済民」されるかもしれない。
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