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2013.04.29 奉祝 昭和節
本日は日本晴れにての昭和節を迎え、誠におめでとうございます。

先帝陛下の御聖徳を偲び、正しい日本の姿を考える機会としたいものです。
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本日、主権回復記念式典が賛否両論ある中で開催された。
その日に合わせ、関西の有志も、主権回復を考える行進を敢行した。ただし、自民党の催しに便乗するものではない。
自民党主催の式典は、昭和27年のサンフランシスコ講和条約発効をもって主権回復と言っているが、あくまでもそれは米国隷属を認証し、米国の核の傘の下での独立であるから、我が国の真の主権回復ではないことは明白である。

よって、この日を境に、本当の意味での回復を考え、行動するよう世論喚起の行進を行った。

有志100名弱の叫びは、沿道の国民にどう映ったのだろうか。ピンときた方は少ないかもしれない。しかし、私たちは地道に訴え続ける。私たちが為すべきことは、自民党の唱える戦後追認ではなく、戦後を乗り越えるきっかけを作っていきたいと。

最後になりましたが、ご参集された有志の皆様、暑い中お疲れさまでした。
明日政府主催の「主権回復記念式典」が挙行される。残念ながら、現段階では歴史的愚挙としか言いようがない。
これまでも書いたが、我が国は主権の回復などほとんどしていないし、そのような中でこの式典を行なうということは、もはや我が国には自主独立も対米自立も、その意思を放棄したと見なされても仕方がない。断乎として批判しなければならない。

しかし、ここでまた歪なねじれが起こっている。先般の靖国参拝やこの式典の開催も含め、一番神経をとがらせているのは米国である。実は彼等こそ日本の「保守的」と言われる行動を嫌う。大東亜戦争での日本の胆力を、米国は今なおPTSDのように恐れているし、事実我が国に再び力を持たせないために米軍も居座らせている。
また、先般の靖国参拝での中韓の非難は明らかに米国がし向けているし、米国紙でもこの行動へは批判的な論調が目立っている。

無論、当部は欲得にまみれた議員の靖国参拝を支持しない。しかし、彼等が意図していなかったとしても、これらの参拝は紛れもなく中韓のみならず、米国の神経をも逆なでしている。であるならば、そこから先のアクションは我が国が独自に起さなければならない。それも官僚ではなく政治主導でである。自立に向けた準備はそこかしこに用意されている。そこに気がつかない国会議員だからこそ余計に支持出来ないのだ。

ともあれ、明日の式典によって、諸外国がどのような反応を見せるのかが興味深い。戦後似非日本及び自民党としては米国追従の再確認行事となろう。
しかし、外からこの式典を見た時、再び日本が立ち上がるのではないか・・・という見方もされている可能性があることは、大いに奇貨としていくべきだろう。

明日の式典に合わせ、関西でも真の主権回復を考える集いが催される。是非ご参集を。
日時
平成25年4月28日(日)
12:30集会開始
13:30行進開始

集合場所
大阪市西区靱公園東園

主催
関西統一行動
4月28日に予定されている主権回復の日記念式典だが、開催直前ではあるものの、開催の意味を巡って異論が噴出している。問題は大きく分けて二点ある。国内のコンセンサスの問題と、今上陛下を政治的に利用しているのではないか、ということである。

まず第一点。コンセンサスの問題についていえば、紛れもなく沖縄県の反発がネックになっている。要は、基地問題も解決しておらず、国防も内政も米国に依存しきっている状態で主権の回復も何もあったものではない。米軍の乱暴に日々さらされている県民感情を考慮せよ、というものが反発の理由だ。もっともである。
限定的な主権回復を祝っている時点で、戦後体制の追認行事であることは明白だし、歪んだ「国家の誇り」を植え付けようとする政府の責任は犯罪的ですらある。
手遅れは承知の上だが、本当にこの式典を開催する意義があるのかどうか、政府には熟考していただきたい。

第二点。今上陛下をお招きし、式典の箔付けをしたいとの政府の意図が政治利用にあたるのではないか、という問題がある。現実に、皇室は政治的発言が重く制限されている。そうした背景を巧みに利用し、主権回復の象徴として担ぎ出そうとする魂胆は、逆賊的行為と言われても仕方がない。また、これを喜ぶ保守集団も愉快犯と見なさざるを得ない。
しかしながら、陛下は式典にご臨席遊ばされる。臣民として慚愧に堪えない。故に、政府には皇室の政治利用を厳重抗議する。

折しも、関西ではこの式典に合わせ「本当の主権回復とは何か」を考える運動が行なわれる。つまり、政府主催の式典は戦後体制の追認であり、本当の意味での回復を目指そうとアピールする。当部も応援し、逆賊政府に徹底抗議を行ないたい。

日程は以下の通りである。同志同憂は是非ご参集を。

日時
平成25年4月28日(日)
12:30集会開始
13:30行進開始

集合場所 大阪市西区靱公園東園

主催 関西統一行動
衆参両院計168議員が、靖國神社春季例大祭に伴い参拝をしたそうだ。
「国のために殉じた人を追悼するのはごく自然なこと」「日本人として当然の行為」「公人ではなく、私人として、一日本人として参拝した」などなど、議員が参拝するたびに聞かれる言葉だ。そして、こうした行動に反発するのが決まって中韓両国であることも、もはや誰も驚かない。
ただ、どちらも痛いことばかり言っていることだけは共通項だ。

靖國神社は確かに良い場所だ。慰霊の地としても、観光名所としても申し分ないと思う。

しかし、議員の参拝には毎回一点だけ強烈な違和感を憶える。
その一点とは、次の選挙に受かるため日本遺族会へのセールスポイントとして参拝しています、と顔に書いてあるかのような不純な目的だからだ。そして、大挙して押しかけるのも良くない。
第一、本気で英霊を顕彰し、慰霊の気があるのなら、何故すぐにも憲法や国防に関して正しい主張をし、彼等の気概に応えようとしないのだ。全てが米国の下請け事業と成り果てた議員の仕事から、そんな高邁な思想は微塵も感じられないだろう。故に、議員の集団参拝は実に気持ち悪い光景だ。自分の口で、声で真に参拝をしていると言えようもない者達の参拝に、どうして国を託そうという気になるだろうか。

そして、これらの行動を非難する中韓両国も、結局は的外れなものになっていることに、早く気づいて欲しい。
ついでに言うと、私たちの陣営も、大挙して参拝することはよくある。しかし、票だの椅子だののために行っていないことは明白だ。行為は同じであっても、精神性は雲泥の差といってよい。

かつて、故東条元首相は、故嶋田元海相と毎朝靖國でお茶を飲み歓談した後、国会に登院していたそうだ。その光景に、公人だの私人だの、票だの愛国だの、そんな次元とは全く違う純粋な、素朴な感情を彼らに抱くのは私だけではないと思う。
こういう自然な形で、いつでも誰でも靖國を訪れる日がくるようになって欲しい。
米国ボストンでのテロル事件(とされている)一件について、容疑者と思しき兄弟が逮捕された。元々イスラム世界に住んでいて、米国に移住してきたものの、移民ゆえの孤立感を深め、今回の行動に至ったとされている。
しかし、米国の大事件には必ずつきものだが、今回も捜査の初動から不審な点が多い。細かなことについては詳細を記したサイトに譲りたいが、ここで問題にしたいことは彼等の出自とされている世界が、米国の次の標的になっているということである。

北朝鮮の動きもすっかり鈍ってしまったところに、今回のテロルである。米国の狙いが今もなおイスラム世界、具体的にはイランにあり、このたびの事件により間違いなくイスラム世界の掃討への動機付けにするだろう。
事件の犠牲者は誠に気の毒ではあるが、浅薄なヒューマニズムの蔓延った追悼式典に祭りあげられた彼らは、これから起こるであろうイスラム侵略の生け贄でもあるのだ。
また、米国の石油利権への強欲ぶりにもあきれ果てるが、何よりも許し難いのは、異なる世界・文明への蹂躙が平然と行なわれようとしてもなお、それに対し何の異論も起こらない世論である。自分たちと異なる価値観を持つ文明を踏みにじることが、自由世界の構築や民主主義の繁栄に結びつくはずがない。
これらは全て、国連・米国流の身勝手な価値観の押しつけに過ぎず、他者への想像力も謙譲心のかけらも感じられない。
もっとも、米国や国連にそのようなことを言っても聞くわけがないとの意見もあるかもしれない。しかし、こうした思い上がりが今なお止まぬ戦乱の火種になっていることを、米国はしかと反省・回顧せねばならない。異なる文明への挑戦が、最終的に自分たちが「善」と思いこんできた価値観に全て跳ね返ってくることを今こそ自覚せねばならない。
今回の事件を、米国自身が反省の材料としなければ、第2・第3の暴発を招き、米国の世界支配はますます空回りしていくことだろう。
米国・ボストンで大規模な爆発事故が起こった。まずは、犠牲となられた国民各位に、心から哀悼の意を表したい。

それにしても、世界の警察を自称する米国でも、こうした事件が日常の光景になってきたようである。オバマ大統領は冷静な対処を呼びかけているが、テロルの可能性を排除しなかった。恐らく、今後はその線で捜査が進むのだろう。非米国人による犯行ともなれば、かの国に住む外国人排斥運動が起こるかもしれないし、もしかしたらこの事件によって高まる不安のガス抜きに、またもや非米国文明(非白色文明)を標的とした乱暴をしでかすかもしれない。
米国は、核の排除を諸外国に強制しながら自国では連日核実験を行ない、さらには自作自演で危機を作り出し、「米国的でない文明社会」には平気で弾丸を撃ち込む、中共と並ぶ、極めて野蛮な国家である。

ところで、本爆発事件では、少年が巻きこまれ死亡したと聞く。誠に痛ましい。しかし、それならば、米国が投下した劣化ウラン弾など数々の生物兵器によって殺され、また奇形児が多数産まれてきていることへの涙は流さなくて良いのか。どちらの少年の死も、哀しみの重さは変わらない。これらの死を、大人の都合で政治化させてはならない。

米国には、血で血を洗うような真似を一刻も早く止め、何故米国がこういう形で狙われるのか、徹底的な総括・自己批判を求めたい。世界規模で起こる一連の悲劇を止められるのは、やはり超大国の反省と点検によってしか成し得ない。

そして、日本も同様である。自分本位のヘーワを外国にまで持ち込んだあげく、外国でのテロルに否応なく巻き込まれる事態になっている。昨今のアルジェリアをはじめとする事件はその典型だろう。日本人は今回の事件を対岸の火事として眺めているだけではいけない。自存自衛の精神が今こそ恢復されなければならない。
2013.04.12 日本海≠東海
グーグルマップの一部で、「日本海」の表記が「東海」とされているそうだ。東海(トンへ)とは、日本海の韓国側の呼称である。
今さら言うまでもなく、日本海といえば、本州北陸側とロシアの間にある大海原のことであり、国際的にも認知されて久しい名称である。そもそも、日本海と命名したのはロシア海軍であった。中国ですら、日本海の名称を認めている(中国で東海といえば、東シナ海を指す)。日本海を東海にせよと執拗に訴えているのは、韓国のみである。

たかが一地名でここまで騒がなくても…という向きもあるかもしれない。しかし、地名の影響力は恐ろしい。ひとたび当事国の設定した名前で通用してしまうと、国民のアイデンティティに直結し、領土意識も醸成される。日本人の領土・地名への無頓着さは、国内的には大規模な市町村合併に対する無抵抗にも現われている。地名の喪失は、すなわち郷土の喪失と同義であることを認識しなければならない。

さて日本海は、その名称が示す通り、日本の海である。韓国の主張には、歴史的にも物理的にもそもそも無理があるだろう。要は竹島の不法占拠の延長線上に、日本海を自らの領海として支配を確実なものにしたいとの狙いがあるのだろう。
不法に不法を重ねた妄言ではあるが、反面韓国はロビー活動にも熱心な一面がある。その意味では、日本よりも何枚も上手だろう。グーグルマップでの東海表記は、その結果であるとも言えるかもしれない。
日本海を東海などと認識しているグーグル、そして背後にある米国軍産複合体国家たる大韓民国への批判をますます強めなければならない。
戦後、東京都北多摩郡砂川町(現:立川市)における米軍駐留基地問題での反対闘争である「砂川事件」が、新たな展開を見せた。
機密保持期限の切れた日米政府外交文書のうち、砂川事件に関するものが新たに発見されたのだ。まず、砂川事件の概要を掲げてみよう。

砂川事件は、上記の土地に駐留する米軍基地の違法性を問うべく、全学連なども参加した安保闘争の先駆けとも言われる事件で、この事件で7名が逮捕された。一審判決では、この7名を「米軍の駐留は憲法9条の定める戦力の保持にあたり、違憲状態であるから、逮捕は無効」であることを示した(伊達判決)。これを受けて、検察は最高裁に跳躍上告、異例中の異例ともいえる裁判となった。最高裁では、「憲法9条に言う戦力の保持に外国の戦力は当てはまらず、一審判決は無効」とし差し戻しされ、再審で被告7名に罰金刑が科される結果となった…。

一般的に知られる事件の概要は以上の通りだが、一連の流れには、米国の圧力が必要以上に日本にかけられており、日本の司法が米国の壁を決して越えることが出来ない限界点を示すことになった。
たとえば、一審判決後にマッカーサー二世が、藤山愛一郎外相に跳躍上告するよう脅しつけたり、また今回の新出資料では、田中耕太郎最高裁長官が最高裁審議日程や判決内容まで事前に米国側に提示していたことが明らかになり、少なくとも半世紀以上前から日本の司法権には独立性も厳密性も欠いていたことが分かった。

ところで、「日本国憲法を守ろう、護憲を世界に」とよく言われる。戦力の不保持を謳う憲法として、もっともらしい論理かもしれない。しかし、その精神性と、実際の運用のいい加減さは、どのように整合性をつければ良いのだろう。砂川事件の判決では、憲法9条の「戦力の保持」の対象が、日本にあるか外国にあるかで判断が分かれた。結果として、米国の保持は認定しているのである。それならば、日本の軍備は駄目だが、米国の軍事行為には目をつぶるのか、とも言いうる。こういう矛盾を、護憲の立場の人々は絶対口にしない。全文守っていたらそれで事が済むのか。そうではないだろう。どういう形であれ、憲法を活かす社会を目指すのであれば、砂川事件を始めとする一連の基地問題に残された澱を取り除き、米国との関係を清算してからだろう。護憲勢力の独善的な姿勢に唖然とする。

そして、何よりも許し難いのは、そうした判決を下し、米軍の存在を認定してきた総責任者は自民党である。自民党こそ、戦後最大の護憲政党であり、米国追随の主体性ゼロの烏合の衆である。彼等に主権回復などを口にする資格が絶無であることが、これからもよく分かるだろう。
近年、民族運動に限らず、街宣車を使用した運動形態が問い直されている。
「もう車でガンガンやる時代じゃない」「車だと威圧感を与える、もっと親しまれる運動が望ましい」「いや、車の威力はやはり大きいし、これからも一定量必要だ」などなど…。どれも正論なのだろう。当部もかつて車を持っていた時期があり、それを使用した運動も行なった。車だと機動性もアピール度も格段に違う。実際、今も諸先輩の車の演台で話もさせていただいている。その効用は大いに認めるし、否定する気は全然ない。

実は、筆者は街宣車について、ちょっと独特の見方を持っている。これまで、決してポジティブな印象ばかり持っていた訳ではないが、やはり目を惹く存在であることは確かだ。そして、町中でフッと歌を流した車に出逢うと、何故か心躍る自分がいる。意外とこんな思いを持つ方、多いんじゃないだろうか。それは、日本の日常の一コマとしてとけ込んでいることを意味している。一個の都市文化・現代風俗として、研究対象になっても良いくらいだと思っている。それに、どの人たちも、必要に応じて車を使用しているはずで、それこそ無闇に走りまわるだけであれば、いずれその意味を自問自答せざるを得なくなるだろう。きれい事かもしれないが、筆者はそう見ている。

昨今ヘイトスピーチのデモが度を超した内容になっているらしい。試しに動画も見てみたが、とても正視できるものではなかった。哀しく、残念だ。彼等自称「ホシュ」の人々は、車を使った運動形態(平たくいえば街宣右翼)をあからさまに差別的な言葉で罵る。いわく「○○人の手先だ」「○○人が愛国をおとしめるための道具としている」などなど…。当然その根拠はほぼゼロである。とにかく、その発言も発想も、想像力のかけらもない、寂しい内容ばかりだ。しかし、そう悪し様に罵る彼等は、一体どれだけ素晴らしい演説をし、大衆に鮮やかにアピール出来ているのか。結果はご覧の通りだろう。自分たちの意に沿わない他者は露骨に罵倒し、自分たちの言動には一切反省も止揚もない。これでは、車での運動を批判出来ないどころか、むしろ規制だらけの中でも目的意識をしかと持っている車の運動の方がまともにさえ見えてくる。

ヘイトスピーチは、体制側の用意したガス抜き装置とはもはや常識である。ただ、体制側に対して批判も意見も出来ない社会は明らかにオカシイし、事実それを善としてきた近代日本のツケが、ヘイスピのような形で噴出しているのだろう。
ヘイスピには、口汚く罵るだけで、そこに論理性や大衆への訴求力は皆無に等しい。これらはいずれ収束すると思いたいが、そのためにはむしろ私たちの陣営が車でも、辻説法でも、ビラでも、世論をはっきりとした言葉でリードしていく気概が必要だと思う。彼等を反面教師として、私たちこそ言霊を大切にしなければならない。
新年度に入り、当ブログもちょっとだけリニューアルしていきたいと思います。

試みに、新しいカテゴリとして「本棚」を設けました!

読み応えのあった本を簡単に紹介し(もちろん、広報担当の独断と偏見です 笑)、少しでも同憂同志(ほとんど認知されていないブログなのは承知の上ですが… 苦笑)のご参考になればと思います。

日本に生まれ育った私たちは、国旗や国歌、国史について、どのように教えられてきただろうか。
当ブログを担当している筆者は、30代前半だ。左翼の強い地域で育ったため、高校に入るまで、国旗も国歌も教えられなかった。後から振り返ると、悲しい少年期だ。
今は国旗・国歌・国史には敬意を払い、誇りある日本人として生きていきたいと思っている。

恐らく、少年期にこういう教育を受けて、それらに敬意も愛着も持たぬまま、家庭を構えている国民は多いはずだ。素朴な感情として、寂しく感じるのは私だけではないと思う。
とはいっても、これらの強制は確かに良くない。これらは自然と敬われる存在であるはずだからだ。そうした取り組みを、戦後日本は全く怠ってきた。罪深い空間を作ったものである。
現在の荒廃しきった精神状況の原因になっていると言っても過言ではない。

やはり今こそ、国旗・国歌・国史を見直す時代としたい。
国旗・国歌については、より深く広く愛されるよう、当部でも独自に啓蒙を図りたい。
国史は、その正しい理解を図るためにも、日本民族の神話的起源の継承が不可欠である。
折しも関西では、有志によって、紀元節復興運動が取り組まれようとしていると聞く。心から賛意を表したい。

安倍政権は4月28日を「主権回復の日」とし、式典を開催したいと馬鹿げたことを喚いている。米国に保護を丸投げした状態で、主権も何もあったものではないだろう。
そんなことを言う前に、まずは「心の主権回復」から取り組み、国家の主体性を確立しなければならない。
2013.04.01 梅田から叫ぶ
先月末、youtubeで、「社会の不条理を糺す有志の会」の3月度定例会の様子がアップされました。
youtubeトップから、「社会の不条理」で検索下さい。右翼だ民族派だと言っても、その主張は様々です。
今月は7日(日)午後2時から4時まで開催予定です。是非通りかかられた際は、少しの間でもお聴き頂ければ幸いです。

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