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遂に、広島・岡山地裁が、昨年末の衆院選について「違憲無効」の判決を下した。画期的な判決だ。
国民一人一人に付与されている選挙権。それが、投票した場所や立候補者の数によって一票の価値が変わってしまう、国民を蔑ろにした政治が延々繰り返される原因の一つになっているといっても過言ではないだろう。
しかしようやく司法による弾劾が行われ出した。
私たちは議会制民主主義には批判的だが、それでも国民として投票には行く。そこでは蟷螂の斧であることは承知の上で、白紙投票という抗議方法をとっている。
司法による判決はやはり影響が大きい。

それにしても、鈍いのは相も変わらず永田町だ。
皆議席が恋しくて確保に汲々しているのは察しがつくが、あろうことか自民党の中谷元議員が、「今回の一連の判決は立法府への挑戦だ」と筋違いなことを仰っている。
確かに議員は、国民の負託によって選ばれている。その選出方法に制度的限界と問題があると司法は説いているのだから、立法府たる者、しかと拝承し審議しなくてどうするのだ。この期に及んで、尚も自民党は頓珍漢の集まりだということを露呈してみせた。放談も大概にして頂きたい。

そういえば、自民党はfacebookで公式ページを作ったそうだが、礼賛コメントは残しつつ、批判的なものにはブロックをかけるそうだ。病的独裁政党につける薬は、やはり白紙投票や選挙無効による断罪しかないのだろう。
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イラク戦争開戦から10年が経過した。
日本では春分の日という穏やかな時節に、野蛮な振る舞いを平然とやってのけ、正義の味方面するアメリカには改めて怒りを禁じ得ないが、それにしてもテロとの戦争でもあったはずのイラク戦争は、今の私たちに何をもたらしたのだろうか。

開戦時、私は第一報の様子を、ある先輩の入院先の病院で知った。その時は、「遂にやったか…」というショックと、冷ややかな感情でテレビを見ていた。反米の立場もまだ曖昧な、幼稚な精神状態にあった。
病室では、他の見舞い客が、「やったれやったれ」と、さもゲームを楽しむかのようにはやし立てていた。日本での受け止め方は、大方きっとこのようなものだったのではないかと思う。
それから10年…。

イラクでは、自爆テロはなお止まず、アメリカが攻撃の大義名分とした「大量破壊兵器」は結局見つからなかった。
戦災後遺症に苦しむ国民に兵士、我が国の同胞も犠牲になっている。
開戦を宣言した米国やそれに追随した支配者層は、そのほとんどが「勝者」として、「名政治家」として名を残しつつある。

ありもしない大義名分を批判し、世界の世論を開戦阻止に振り向ける機会は何度もあったはずだ。しかし結果的に、数多の犠牲の上に「ヘーワ」な世界が築かれ、しかしそのはずが益々いびつな社会構造をもたらし、閉塞感は極限に達しつつある。

これはヘーワでも、ハンエーでも何でもない。

私たちのような立場の者は、社会に対して何を発信し、何を望まなければならないのか、短観的な視点で右往左往している限り、体制の補完勢力にしかなりえないであろう。その点では完全に私たちは世論をミスリードした。維新や民族主義を標榜する以上、強烈な自己批判が迫られよう。

イラクは果敢に国際社会に発言した結果、撃滅された。片や日本は、勝者への日和見の結果、せこいハンエーを謳歌した。白人勢力にはただひたすら付き従い、有色人種には発言も何も機会が与えられていないのか。どちらの姿勢が国家として、人間として毅然としたものなのか、迂遠なようだが、じっくり考えなければならない。
先日、安倍首相が4月28日を「主権回復の日」として政府主催の記念式典を開催したい意向を示した。
戦後混乱期から高度経済成長を経た上で今の我々がある、そのベースには昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効があったという見方にもとづくものだろう。確かに、一理あるかもしれない。しかし、その日を「主権回復」とする意味、本当にそう言えるのだろうか?

サンフランシスコ講和条約発効後、確かに本土は「独立国家」として国際社会に復帰を果たしたかのように言われる。しかし、周知のようにそこには当時、沖縄・奄美諸島・小笠原諸島は含まれていなかった。特に沖縄には今もなお米軍基地が横たわったままだ。つまり、戦後の日本はこれらの島々を一時的にではあれ、統治を放棄していた時期があったことを物語っている。戦後の混乱覚めやらぬ状況下、経済的な事情や国際社会での均衡関係もあったであろう。しかし、沖縄に米軍基地という足かせを填めたままの、いわば擬似的主権回復にある状況を良しとする精神は、米国・国連による被蹂躙状態を追認するものであり、敗者の思想そのものではないのか。これでも「主権回復」と言えるのだろうか?

本州以外の島々に対しては負担ばかりを押しつけてきた、近代以降の日本政府の浅はかな国土観が見え隠れする。領土問題で日本が他人事であるかのように振る舞ってきた原因も、そうしたところにあるのではないか。
今、日本政府がしなければならないのは、地方を切り捨ててきたこれまでの差別主義的内政の総括と、(物理的・精神的に)国土が溶解するに至った真の原因は一体何なのかを明らかにすることである。それもせずして「主権回復」をほざくなど、言葉遊びも甚だしい。およそ政権政党として、国家国民への想像力や謙虚さのかけらも感じられない妄言である。
明日はホワイト・デイだ。

バレンタイン・デイのお返しに、男性から女性にお菓子を渡す日として浸透している。
菓子屋の陰謀だの女尊男卑だの、馬鹿げたやっかみはこの際抜きにして、人へ贈り物を渡す習慣、なかなかいいものだと思う。むしろ独自の贈答文化を持つ日本に相応しいイベントでさえある。

バレンタインにご縁がなかった人も多数いるだろうと思う。しかし、むしろホワイト・デイに自分から誰かに差し上げるのも一興ではないか。それへの返礼など無くたって問題なし。そもそも人に贈り物をして喜ばれるなんて、なかなか気持ちいいことではないか。

仕事も女性も、待ってたり羨んでたり、愚痴ってたりしたら自然とあちらから遠のいていく。全てこちらから各個撃破の精神で当たらなければならない。
明日のオマ○マを食うために、オマ○コを狙いにゆくべし!正に弱肉強食の時代に生きんとする男子に必要な精神である!

世の青年諸兄、健闘を祈る!
2013.03.11 追悼3・11
東日本大震災により罹災された国民の皆さま、並びに数多の同胞の御霊に対し、心からお見舞い、お悔やみ申し上げます。
災後二年経った日本社会、より複雑かつ混迷の極みにあります。
誠に悩ましい現実にいかに対処し、希望ある社会が描けるのか…答えは一様ではないにせよ、私たちの立場からも、深く重く考え、発信して参りたいと思います。

合掌

2673年弥生11日
大東亜青年倶楽部
2013.03.10 東京大虐殺
昭和20年3月10日、米軍は東京を空襲し、一夜の内に10数万人を殺戮した。
そして、その日を皮切りに、大都市空爆を展開、約5ヶ月後には、広島・長崎大虐殺を強行した。
国際法違反、人道に対する大罪を犯し、今なおその路線を改めようとしない米国に対し、心からの謝罪と補償を要求する。

2673年弥生10日
大東亜青年倶楽部
2013.03.07 いけんなぁ…
東京並びに北海道高裁が、昨年末の衆院選に対して、違憲状態であるとの判決を下した。
一票の格差問題から起こった裁判であるが、まずは訴えた弁護士有志の皆さんに、感謝の意を表したい。

国民の声が政治に反映されず、声の大きな会派のみによって国の行く末が左右される…いびつな日本政治及び戦後議会制民主主義に対し、遂に司法が制裁を課してきた。
二例の判決では、さすがに選挙無効の判断にまでは踏み込まなかったが、これからの判決ではそれが下される可能性もまだ残っている。
もはや、国会議員は憲法違反の犯罪者集団である。即刻議員辞職し、司法の裁きを受けることをお勧めする。
さらに、司法には違憲立法審査権を発動し、現行普選法の違憲性を検証してもらいたい。
国民の政治への不信感は沸点に達している。合法的手法によって、永田町を地図から抹消できる良い機会である。

さて折しも、安倍首相は4月28日を「主権回復の日」とし、政府主催の式典を開催したいと発表した。
ヤフコメやネウヨの妄言を堂々と語る、前代未聞の発表だ。
主権回復とは聞こえは良いが、それはサンフランシスコ講和条約発効を意味しているのであるから、内実は「米国占領下における擬似的独立」と言うべきであろう。
「主権回復」などと誤った国家観で、またもや大きな声でのたまうとは正気の沙汰ではない。
ただし、違憲な存在と認定された人々の声だ、何ら気にすることでもないのかもしれない。とはいえ、このようないちびった集団を、このままのさばらせておくのは極めて危険であることはますます注意が必要だろう。
東京都が、西暦2020年のオリンピック開催候補地として名乗りを上げ、招致活動に躍起になっている。
反応は様々あろうが、成熟仕切った国で尚もオリンピック開催とは、一体どういうことなのだろうか。
オリンピックには、開催決定後よりも、その招致活動にカネが湯水のごとく使われるのはよく知られている。
実際、かつて大阪でオリンピック招致活動では数千億に上るカネが流れたと聞く。使途も報告もなく、また開催決定に至ることもなく、いつしか夢物語に消え果てた。
東京都は、またその轍を踏もうとしているのだ。
大体、今更日本でオリンピックを開催する意味が見いだせない。
それに投資するくらいなら、何故都の財政再建に充てたり、或いは被災地復興に使おうとしないのか。
まだオリンピックにこだわる理由、全ては石原前知事に原因がある。
そもそも、東京都で再度開催を目指そうとしているのは、石原都政の失政の目くらましだと以前から指摘されてきた。オリンピックは、世界から注目が集まるし、カネも落ちる。失政のツケをオリンピックで補おうとしたのが事の発端だ。
言うなれば、失政という個人的な理由で都民、国民が騙されているのである。
爛熟しきった街で今更オリンピック、こんな前時代的な発想の残滓は早々に捨て去るべきである。

更に言えば、オリンピックそのものも相当いかがわしい。創設者クーベルタンが言ったようなオリンピック憲章など、もはや有名無実である。カネに薬物、利権集団が跋扈する汚らしいイメージが先行しているし、あまつさえスポーツの祭典など、どの種目でも世界大会があるではないか。それで十分だ。
オリンピックに万国博覧会、こういった世界規模の祭典は、前世紀に行われていたからこそ価値があったのだ。
これだけインターネットが発達し、国境を超えた世界で生きている中でこれらを敢えて行う理由はもうどこにも見いだせない。

ともあれ、東京五輪招致は都民のカネが無駄に流れるだけであり、日本経済に活力を与えるものには全く成り得ない。
空騒ぎは恋愛だけにしておけ!
先日、梅田にて行われている「社会の不条理を糺す有志の会」の定例演説会に参加した。
毎月第1日曜日、午後2時~4時まで行われる演説会だ。
毎月、色んな方が、自己の問題関心に沿って、様々なことを表現する。
何分、繁華街での演説会、立ち止まって聞かれる方がおられても、せいぜい10分が限度だろう。
それでも、マイクを通しての演説、心のどこかに留めていただけたらそれで良いと思っている。

話していると、次から次へと言葉が溢れ出す。欲張ればきりがない。それだけ、私たちは言葉を発していないのかもしれない。
やがて時間が終わり、また来月となる。
来月はこうしよう、あれを話そう、いや来月になれば、また新しい話題が…これも欲が尽きない。
しかし、何より忘れてはならないのは、こうした機会を設けて頂いている先輩の皆様のご尽力だ。毎月本当にありがとうございます。

ひとたび言葉を放ったら、誰にどんな形で響いているのか…楽しみでもあり、怖くもある。
それでも、来月も話に行く。多分。私たちの言霊をお届けしたいがために。
2013.03.03 惜別の辞
先月末、社民党本部が、取り壊し前の「三宅坂」でお別れの会を開いたそうだ。
社会党時代からの本部ビルは、三宅坂にあったことから、その地名で長年親しまれてきたようである。
今回の解体は、ビルの老朽化と、党勢退潮のため維持が厳しくなったことから決定されたそうだ。
戦後長らく君臨してきた社会主義の砦もあっけなく解体に至ったのであった。
村山元首相は、日本維新の会のような根のない政党が現れて、組織力ある社民党が伸びないことを嘆いたようだ。惜別の情もあるだろう。気持ちは汲みたい。

しかし、戦後日本的社会主義及び社民党は、戦後政治の1つの役割を名実ともに終えたのだと思う。
実際、社会党時代も、最大左派政党ながら、テーブルの下ではがっちり自民党と握手しあっていた仲だし、数々の政局における修正主義的行動は、単なる党の延命工作として国民を失望させるに十分だった。特に連立政権時以降は酷かった。その総括をすっかり置き去りにし、最近は議席維持のための「政治」に終始した時から、彼らの存在意義はますます霞んでしまった。今の国民新党のようなものだ。
残念ながら、社会主義の具体化には程遠い政党だったのだろう。

しかし、党組織としては今も残っているし、社会党路線に反対し、更に尖鋭化した新社会党も尚健在だ。

筆者は、左翼の思考や彼らが理想とする社会には決して賛成しない。反面、社会変革への理想をはっきりと持ち、行動する人に対しては、私は左右問わず敬意を払いたい。
社民党には、これまでの我が身を徹底総括の上、新天地でもう一踏ん張りしてほしい。
与党や多数会派の声に埋没してはならない。
…だが残念ながら、社民党にその余力はないだろう。そうした、遠ざかった彼らの熱に対しての惜別の辞としたい。
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