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『やくざ・右翼取材事始め』(猪野健治著、平凡社、平成26年2月刊行、1,800円、http://www.heibonsha.co.jp/book/b165235.html)

やくざ・右翼関係取材・執筆の第一人者である猪野健治氏による、初めての回顧録が登場した。猪野氏の筆力・識見に敬意を表する者として、待望の一書となった。


猪野氏は昭和8年(1933)滋賀県出身、高校生の頃から、労働運動に打ち込んだり、新聞を独自に発行してきたりと、早くから社会や政治の動きに対して触角を張ってきた、早熟な青年期であったようだ(もっとも、早熟という印象は、政治に対して疎い現代人である私ならではの感覚であり、猪野氏の世代からすれば、さらに激しく社会にコミットしていた同志がいたことだろう)。
実は、猪野氏の一連の著作では、何故彼がここまでやくざに肉薄し、こだわりを持ち続けてきたのかが謎であった。その根底には、青年期の労働運動・ミニコミ誌を通じて、社会の底辺に位置づけられざるを得なかった人々の姿に、否が応でも耳目を接さなければならなかった悲しみや怒りが、後のやくざ取材・執筆へと向かわせたのであろう。
そうした早い時期の経験が、猪野氏の人生を決定づけたことは疑いない。

成人後は、東京に出て出版社で雑誌編集・制作(といっても、大手のものではなく、今で言うブラックジャーナリズムに近い媒体であったようだ)の縁が出来、その仕事を通じて幅広い人脈を築いていく。そこで出会う人々の名前が錚々たる名前ばかりで驚かされる。彼らと縁を結べたのは、猪野氏の人柄もあったことだろうが、どことなく大らかな時代の空気をも感じた。

それらの人脈のうち、彼の執筆の軸ともなっていくジャンルが、右翼とやくざであった。最初は、右翼世界の重鎮たちに取材を続けたようだが、何故左翼ではなかったのだろうか。もっとも、労働運動との関わりから、左翼の理想と現実は既に分かっていたはずだが、右翼・やくざ取材へ向かったのはいささか反動的とも見えなくもない。しかし、彼は簡単にその動機を語ってみせるのだ。「やくざに直接会って取材しようなどと考える 物好きな書き手は、そのころは全くいなかった」と。
この一言からも分かるように、氏は徹底的に人間を見、話し、そして出会った人物たちを通してうかがえる社会的・文化的背景をえぐり出すに天性の才能を持っていた。

また、彼のこうした関心のもう一つの根幹に差別の問題がある。結局、やくざを生み出す社会的背景には、人間
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『お手軽愛国主義を斬る』(木村三浩著、300ページ、1,900円(税別)、平成25年12月刊行、発行:彩流社、http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-1951-4.html
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一水会の代表としてつとに知られる木村三浩氏の新刊が出た。彼は現在、猪瀬前知事の献金問題で追及されているが、こんな些末な問題で騒ぎ立てるマスコミや政界の白々しさにはほとほと吐き気を催す。次の都知事候補達も、またぞろ金がらみで癖のある輩ばかりだ。他府県の人間がとやかく言う資格はないが、少なくとも日本の腐食を進ませ、「米国日本州東京事務所代表」でへーキな面をしていられる人間には当選していただきたくない。

さて、前置きが長くなってしまったが、本書は、木村氏がここ10数年の間に様々な媒体で発信してきた原稿や対談をまとめたものである。しかし、何故ここにきて木村氏の提言が公刊されたのか。
去年ほどではないが、ヘイトスピーチが一時期問題となった。そこに見られるのは、ヘイスピに反対する立場も含めて、偏狭で想像力を欠いた「政治信条」のみが独断先行し、互いに罵声を浴びせるだけという寒い現場だった。左右の立場にかかわらず、現状に危機感を持ち、変革の道を求め歩くのが政治運動の肝であろうと思うが、ここ数年のブームとしての「愛国」「しばき」には、革新への意志も、相手への共感もまるでないのだった。
ならば、右翼とは何なのか。
木村氏の強烈な問題意識はそこにある。

木村氏は、現在の日本の置かれた状況について、与党によるTPPや秘密保護法案、改憲をめぐって、このままでは恒久的に米国の管理下に身を置くことになる、と警鐘を鳴らす。日本的右翼は、その源流からして欧州のそれとは異質である。しかし、通底しているのは民族的主体の自覚と、その精神の継承にある。
戦後、日本は歴史そのものが大きく転換した。これまで先輩達が培ってきた風土や文化を、GHQと米国はまるごと否定した。しかし、日本人は結果的にそれを受け入れ、したたかに成長を続けた。その成長と繁栄の裏で、日本的なるものを置き去りにしてしまった、その恢復が急務である、とするのが私たちの年来の主張だ。
ところが木村氏は、旅先の国々で、日本的な精神や価値は、むしろ海外にこそ残っているのではないか、と気づく。野村秋介氏も語ったように、「外から日本を見つめ直す」ことにより、私たちに欠けているもの、あるいは外に残っているものが見えてくるのだろう。大陸浪人の時代の再来を期したい。

本書では、鳩山元首相や、前田日明氏との対談録も収載されている。どちらも読み応えがあり、鳩山氏の尖閣への思いや前田氏の日本と韓国への感情もよく分かった。また、一水会の世界観も改めて伝わってきた。

ところが、本書のタイトルにもあるように、これを読んだからといって、「共感するところが多かったから自分も右翼だ!」とか「これなら自分にも人に語れるぞ!」などと早合点してはいけない。これらの言葉は木村氏の長年の苦悩の末に紡ぎ出されたものでもあるはずで、私たちは、本書を踏まえて政治に、状況に対してどのように振る舞えるのか、を静かに考えなければならない。右翼の考えがよく分かる入門書としてもよく出来ているだけに、決して「お手軽」に理解したつもりになってはいけないのである。氏の問いかけは重い。
『師・野村秋介―回想は逆光の中にあり―』(展転社、平成25年10月刊、定価2,000円、231ページ)
http://www.amazon.co.jp/%E5%B8%AB%E3%83%BB%E9%87%8E%E6%9D%91%E7%A7%8B%E4%BB%8B%E2%80%95%E5%9B%9E%E6%83%B3%E3%81%AF%E9%80%86%E5%85%89%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8A-%E8%9C%B7%E5%B7%9D-%E6%AD%A3%E5%A4%A7/dp/4886563929

かつて、野村秋介氏という民族派の運動家がいた。民族派運動に携わっていれば、知らない者はないといわれるほど突出した行動力と思想を持っていた。
筆者も、もちろん名前は知っている。しかし、その謦咳に接したこともなければ、彼のような生き方ができるはずもない身であってみれば、その実像は、仮に知り得たとしても、どことなくおぼろげにしか残らない。野村氏にはそんな印象を持っている。

本書は、彼の最大の門下生であった、蜷川正大氏による、野村氏の回顧録である。朝日新聞社で自決するまでのいきさつから、野村氏との世界中の旅の回想を綴り、最後はいわゆる「赤報隊事件」への蜷川氏なりの分析と総括で締めくくられている。

野村氏には、不思議な魅力を感じさせる何かがあったようだ。たとえば、世界の片隅で古くからの知己と出会い、あるいは旅先のポン引きの飲み屋でも歓待されたりと、言葉は通じなくとも人を惹き付けられる天性の磁力を持っていたのだろう。そして、折々に詠われる俳句。繊細な詩情が、読者をして一瞬に句の情景へ引き込んでいく。
自決の寸前まで、葛藤し、生ききった人生。言いっ放し、やりっ放しではなく、努めて自身の言葉に忠実に生ききった人間。野村氏の言葉や行動が、今なお多くの人々を惹き付けてやまない理由はそこにあるのではないか。

今、どの世界を見ても小粒な人が増えた、とよく言われる。私も、間違いなく小粒なスケールで生きている一人だ。「世間様」を度外視してまで考え、行動し、死ぬ。誰でも出来ることではない。ただし、戦後日本という「世間」の枠から一歩踏み出したとき、世界から日本を客観視し、浪漫的な生のきっかけが出来てくる。野村氏が実地で蜷川氏に教えたこと、それは「悠久なる日本に生きろ」ということに尽きるのではないか。誰もが同じような生き方は出来ない。ただ、必ずいつか現れる。それは、本書の読者の中からかもしれない。蜷川氏の本書に託した想いが垣間見られる気がした。

しかし、読後もやはり、私にはその存在はおぼろげで、遠いところにいる。左様、もう野村秋介という人間が、現実には現れ得ない空間に、私が生きているからだ。
逆光の中にさえ、彼を回想するすべを持たない、私たち若い世代の指針となることが、本書には出来るのだろうか。重い宿題を抱えることになりそうだ。
『鎮魂 さらば、愛しの山口組』(盛力健児著、宝島社、1,500円、平成25年8月、http://www.amazon.co.jp/%E9%8E%AE%E9%AD%82/dp/4796699147)

やくざ関係の書籍は、これまで山のように刊行されているが、先月末に刊行されたこの書は、一種独特の雰囲気を放っている。
このところ、世間に名の知られた親分級の人物による自伝が相次いで刊行されている。記憶に新しいところでは、後藤忠政氏による自伝『憚りながら』(http://www.amazon.co.jp/%E6%86%9A%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89-%E5%AE%9D%E5%B3%B6%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%BE%8C%E8%97%A4-%E5%BF%A0%E6%94%BF/dp/4796681345)がやくざファンのみならず、マスコミも賑わせた。

今回発行の本書では、大阪戦争・山一抗争・中野会事件・六代目誕生劇・直参大量処分劇を軸に、山口組の激動期を間近で見てきた人物ならではのモノローグである。既に、ネット上では賛否両論の声が上がっているが、巨大組織をめぐる状況を冷静に見つめ、淡々と語られていくある種の「凄み」は、紙面から目を逸らさせないことに成功している。
ちなみにやくざ記事には、いわゆる提灯記事(つまり本人に不都合なことは書かない)が多い。しかし、本書は組織の中枢に居た人物による内幕がほぼ遠慮なく語られていて、また語られる一つ一つの事件にも細かい注釈がついており、やくざ事情に明るくない読者にも理解しやすい工夫が施されている。

巨大やくざ組織の内側から見つめた者の声は、実はそのまま現代堅気社会の病理を投影している。組織論や人間観を磨くのにも有益な内容である。そして注目すべきは、やくざ本人による組織の実態が、今後ますます明らかにされていく可能性があることだ。やくざネタというタブーは、やくざ本人の手によって、少しずつそのベールを脱いでいっているのかもしれない。
新カテゴリ「本棚」の初めての紹介である。記事タイトルも、「我らの一冊」としてシリーズ化したので、ご覧頂ければ幸いである。もちろん、紹介は広報担当の独断と偏見だ(笑)。


『ハイリスク・ノーリターン』
(山口祐二郎著、第三書館、本体1,200円)
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3-%E5%B1%B1%E5%8F%A3-%E7%A5%90%E4%BA%8C%E9%83%8E/dp/4807413139/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1367918210&sr=1-1

元統一戦線義勇軍に所属し、火炎瓶投擲や脱原発行動、また東電前ハンストなど、大胆な行動で運動界隈を賑わせてきた異色の活動家による半生記である。
周りの人を魅了し、惹きつける力とは、生まれながらに備わっているものなのだろうか。彼の行動の一つ一つが、穏やかに、時に激しく周囲を巻き込んでいく様子は、読む者を飽きさせない。
また、著者は「優しい人物」でもあるのだろう。優しさ故の不器用ぶりが全編に鏤められている。
現代は生きづらいとよく言われる。ただ、生きづらいからといって、全員が破天荒な振る舞いが出来るかどうか。答えは否である。皆、生きづらさを自覚しながら、どこかで現実と妥協し、屈服し、社会と折り合いをつけていく。ところが、著者はそこに必至にもがき、抵抗する。その反発には、社会への憎悪や嫌悪感もあろうが、その荒々しい振る舞いの根底にある心性は、相手を叩きのめし、屈服させるためのものではなく、精一杯反発しつつも相手への「許し」がある。その許しや優しさが、読後に爽やかな感情を抱かせる。
思想に生き、志操に殉ずる者の抱くべき「許し」や「優しさ」とは何か、を若い著者から教えられることの多い一冊だ。
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